出 版 社: 学習研究社 著 者: 今村葦子 発 行 年: 1998年5月 |
< ザリガニ同盟 紹介と感想>
小学生男子にとってザリガニとは何か。その真価を理解してもらえないと、この物語の「折角、捕らえた大物ザリガニを手放す」決断の苦渋が伝わらないかと思います。それほど小学生男子にとってザリガニは魅力があるものなのです(力説)。自分が子どもの頃の記憶にも、「アメリカザリガニ」と呼ばれていた、あの生き物の躍動がまざまざと刻まれています。自分のような都会で育った小学生にとって、「売られていない」ザリガニに出会う確率は非常にレアで、公園の池などで見つけると狂喜する代物でした。今にして思うと、外来種のアメリカザリガニが公園にいてはダメなわけで、生態系崩壊のサインだったわけですが、当時はそんな概念もなく、見つけられたら、ただただ無邪気に喜んでいたのです。さて、そんな子ども心の無邪気さに「翳り」が生まれるところにこそ、児童文学の味わいがあります。子どもが無邪気なだけではいられなくなる瞬間、人生の哀しみと歓びを知り、少し大人びる季節の到来が実にグッとくるところなのです。少年たちの輝ける夏。ただザリガニを捕まえて大喜びをしていた無邪気な夏のタイムリミットが迫っています。小学五年生の、子どもと大人の「あわい」がクールに描かれた、実に見事な物語です。
勝気のカッペイこと勝平(しょうへい)と、タエシノブ、忍(しのぶ)。二人の少年の小学五年生の夏は公園の池に大量発生したザリガニによって色めき立ちます。ライバルの小学生たちと争奪戦を演じながら、二人が狙っていたのは、忍が見つけた、ばけものみたいな大ザリガニでした。ついにその大物を釣り上げようとした時、二人はシラサギのような高齢のおじいさんに止められます。彼は少年たちに、自分の仲間であるザリガニを見逃して欲しいと懇願します。果たして、老人の目を盗み、大ザリガニを捕らえた二人でしたが、どうも素直に喜べない。ザリガニを失った老人の淋しそうな姿に、呵責を感じ始めていたのです。二人は互いの葛藤をぶつけ合う大ゲンカの末、公園の池にザリガニを返すことにします。ザリガニの帰還を知ったシラサギのような老人は、少年たちの気持ちに感じ入り、やがて二人と親しく会話を交わすようになります。三十年も前に、この公園に子どもが持て余したザリガニを放ったという老人は、今もその子孫の命が息づいていることに、ある感慨を抱いていました。自分の余命が僅かなことを知っていた老人は、その最期の時間を少年たちと過ごし、心を通わせていきます。「あのじじいには、うんざりだ」と言っていたはずの少年たちもまた、老人と過ごす時間が大切なものとなっていきます。忍の前では心の弱さを見せない勝平でしたが、祖父を亡くして沈んでいた勝平の気持ちに忍は気づいていました。そんな勝平が老人に心を開いて、悲しみを吐露するところを見て、忍が心を打たれる場面も秀逸です。終わりが近づいている老人の時間を見守る彼らは、もはやザリガニに夢中だった無邪気な少年ではなかったのです。
非常にカッコいい文体による冴えた描写が印象的な作品です。明るく元気な少年の夏の光は、その影を描くことで際立っていきます。心の中の悲しみや寂しさを口に出すことはない、なんていうのはハードボイルド小説の主人公だけではなく、男子小学生もまた、心に秘めた想いを友だちにさえ気づかれないように過ごしているものです。忍が自分の複雑な気持ちを数え上げ、自問自答していく場面から、友人である勝平に想いを馳せる描写の見事さなど、ともかくも、いじらしい少年の心境を、じっくりと「読ませる」物語でした。「ザリガニ同盟」の名の下に、老人と盟友になった少年たち。老人が少年たちに遺していった置き土産もまたニクいものがあり、まあ、どうにも鼻につくまでのカッコ良さに溢れた男子ロマン溢れる物語なのでした。そういえば忍のお母さん以外の女子が出てこない、男子ワールドなのでした。ボーイミーツオールドボーイの魅力溢れる作品です。ちなみに、なぜ小学生男子がザリガニが好きなのかというと、メカっぽいから、ではないかというのが僕の仮説です。同じ理由でカブトムシやクワガタも好きなのではないかと。これが蟹だと今ひとつだということを考えると、流線型で鋭角的なスマートさが求められているのかなと。そう考えるのは、自分の子ども自分に、怪獣ならばメカゴジラやガイガン、キングジョーなどが好きだったメカ志向だからなのですが、恐竜戦車はやや違うので、そのあたり己を見つめ直して、心の深層に迫りたいと思っています。