出 版 社: 国土社 著 者: 上條さなえ 発 行 年: 2021年07月 |
< シェフでいこうぜ! 紹介と感想>
中学年向けの120ページ程度の短い物語ですが、とても情報量が多い作品です。色々なテーマが頭をかすめていきますが、主題は、諦めずに地道に努力を重ねる少年のひたむきさだろうと思います。失敗を重ねても挫けず、納得できるまで探究をやめない。主人公の少年、小学四年生の大斗(だいと)は、沖縄料理の、てびちの煮物を作ります。しかも、この物語の中で、何度も何度も作り直すことになります。その試行錯誤のプロセスが描かれる物語です。料理をする目的は、心を病んでしまった父親を励ますために、祖母が作ってくれたという、てびちの味を再現することです。これがなかなか上手くいかない。そもそも素材の難しさがあります。てびちは、豚の足の部分です(所謂、トンソクとは部位が違うということも中で触れられています)。皮付きで毛もついた肉をどう処理するか。そのまま煮ただけでは生臭くて食べられません。下処理が重要なのです。ネットで調べた知識から始めて、シェフである友だちのお父さんの指導を受けたり、本を読んだりと見識を深めていき、少しずつ味を極めていきます。当初の目的は父親に喜んでもらうことだったのですが、味の探究自体に夢中なっていく姿もまた面白いところです。友だちのお父さんから、その資質を認められて「シェフで行こうぜ」と将来を嘱望されるあたりも微笑ましいですね。ある程度の成果が出たらそれで良しとするのではなく、自分が納得いくところまで諦めずに追及する。そうした完璧主義は心身を疲弊させがちだし、ちょっと危険なところもあります。それでも、少年の一途さはやはり愛おしいものです。適当に流さず、真摯に取り組んでいく。大斗が料理に開眼していく姿と父親の回復とが前向きに描かれていきます。
大斗の、タクシー運転手として働いている父親が、起きてこられなくなって三日が経ちました。心配した大斗と母親が、父親を病院に連れていったところ、心の病気だと診断が下されます。治るのには時間がかかると言われ、どうしたら良いかと、大斗は母親と一緒に頭を悩ませます。「父ちゃんを元気にする、プロジェクトチームを作る」という母親の発案に、大斗も何かできないかと考えはじめます。料理が得意な大斗は、父親の食べたいものを作って元気づけようと思い、沖縄で食堂を営んでいたお祖母さんが父親に作ってくれたという、てびち(豚の足)の煮物を再現しようとします。スーパーでは材料が手に入らず、フランス料理のシェフである友だちのりっちゃんのお父さんの協力を得て、てびちを入手した大斗。さっそく煮始めますが、その臭いの強烈さ。ネットで作り方を探し、なんとか、てびちの煮ものを作ることができましたが、食べはじめた父親は箸を止めてしまいます。お祖母さんの作ったてびちとは違うそうなのです。ここから大斗の探究が始まります。シェフからアドバイスをもらって、いかに臭みを消すか、生姜やネギなど一緒に煮るものを工夫したり、下茹でした、てびちを洗ったり、それによって大斗のてびちは洗練されていきます。皆んながほめてくれても、大斗は、自分の作ったてびちに臭みがまだ残っていることに満足できません。ついには沖縄料理の本を参考にして、更にレベルを引き上げ、ようやく父親にも喜んでもらえます。とはいえ「こってりとして、さっぱりとしていた」という祖母のてびちには届かない。こってりを出すにはどうしたら良いのか。大斗の探究はまだまだ続いていきます。
父親が沖縄出身であるということで、第二次世界大戦下での沖縄戦の惨事や、お祖母さんが鹿児島出身であったために沖縄で差別されながらも食堂を作ったことなどにも言及されていきます。大斗は沖縄の料理を学びながら、父親から沖縄の話を聞き、そのスピリットを共有していきます。そのコミュニケーションもまた、父親の回復の一助になったのかも知れません。首里城が焼失した際にも二日寝込んでしまったという繊細な父親の、今回の心の病の要因となったのは、新型コロナ感染症の拡がりが影響しています。タクシー運転手をしている父親は、お客さんを乗せることで、自分が感染するのではないかと心配し、次第に心身を病んでしまったのです。おそらくは2020年の最初の非常事態宣言の頃の状況で、感染症についての正しい理解も進んでおらず不安だけが拡がっていた頃かと思います。学校も休校になっていたことや、宣言解除後にスーパーに行った大斗がエレベーターに怖くて乗れなかったことなどのエピソードも当時の状況を表しています。大斗の友だちのりっちゃんも、非常事態宣言下でお店を閉めなくてはならなかった父親が、ため息ばかりついる姿を目にしています。コロナ禍でその働き方に影響を受けた大人たちと、その大人を見て、心を痛めている子どもたちの構図がここに描き出されています。子どもたちも不自由を強いられていた日々ですが、大人が落ち込む姿を見続けることも辛いものです。そこから大人を支えたいと思う、子どもたちの気持ちの健気さが切ないところです。心を病んだ当人としては、励ましの匙加減で元気になったり、逆に落ち込んだりする難しい状態のはずです。とはいえ、見守る家族にバイタリティがあることは、やはり救いだと思ってしまいますね。