アイヴォリー

出 版 社: 理論社 

著     者: 竹下文子

発 行 年: 1994年12月

※復刊版は2007年復刊ドットコムより刊行

※表紙画像は復刊ドットコム版です

アイヴォリー  紹介と感想>

大好きなおかずを一番最初に食べるか最後までとっておくかで、全人格を判断するのは乱暴です。とはいえ、性格のタイプは少なからずわかる気がします。空腹時に食べた方がより美味しいであろうし、食事中にどんな不測の事態が起こるとも限らず、途中で食事を放棄するリスクを思えば前者が正しい、のかも知れませんが、最後までとっておきたい人の気持ちもわかります(僕もとっておくタイプですし)。とはいえ、この「とっておきたい」もったいない感で人生を損していることもあるのではないのでしょうか。セットの色鉛筆や、絵の具が、好きな色から減っていく人もいれば、好きな色はどうしても使えない人もいる。本書の主人公、美月は、お気に入りのアイヴォリー・ホワイトの絵の具をほとんど使わずに絵の具箱の中にとっておいたまま不慮の事故で死んでしまった女の子です。多分、美月の短い人生もまた、使わないでとっておかれたままの絵の具のようなものだったのかも知れません。本書『アイヴォリー』は、そんな美月が死んでからの物語なのです。

死んでしまった美月は、幽霊になって「なにもしようと思わなければなにもしなくても良い」永遠の時間に住んでいます。そこで彼女は、自分が好きだった絵の具の色、生きている間に使えなかった「アイヴォリー・ホワイト」を名乗ります。そして自分のお墓で暮らしながら、同じ霊園に住んでいる、未だ成仏しない幽霊たちと交流しています。幽霊たちは、それぞれ不思議な個性を持った人たちです。好きなライフスタイルで生活している。自分の好きな名前を名乗り、似合わなくても自分の着たい服を着る。でも、気ままに振舞いながらも、失われてしまった自分自身や、遺してきた家族に忘れられていく自分自身に、我知らず寂しさを感じている人もいるようです。アイヴォリーは幽霊になって、美月として生きていた頃には気づかなかった多くのことを発見していきました。雨の音楽に耳を澄まし、自然の息吹を感じること。そして、とても素敵な歩き方をする生きている男の子と出会って、「生きている」ことの輝きに羨ましさも感じてしまいます・・・。幽霊になって、自由な自分を獲得したのに、生きていた頃の自分が眠るお墓のそばを離れられない。ほとんど現世での生活を忘れてしまっているのに、何か解決していない心の問題が残されているのです。自分の心にある、この不安は一体、なんなんだろう。このまま、ただすべてを忘れていって消えてしまうのは、いやだ。思い出したい、すべてを。生きていることは楽しいだけではなく悲しみや苦しみもある。自分の名前がしっくりこなくても、うまくいかないことがあっても、それでも生きている方が素晴しい?。アイヴォリーは、生きてる時には見つけ出せなかった、生きることの意味や歓びを考えていきます。死んでからはじまったアイヴォリーの自分探しは、一体、最後に何を見つけ出すことができるのでしょうか。

自分自身を大切に思う気持ち。自分自身が失われてしまうことを惜しむ気持ち。感受性をひらめかせて世界を感じる気持ち。自分自身のために心を使うことをためらったまま、使い遺した自分を抱えたまま死んでしまった美月。無論、物語の救いはあるのですが、それは読んでのお楽しみということで。死を語りながら、ここには生きることの歓びが描かれていくのです。人生を使いきることも、味わい尽くすことも難しいことですが、生きているうちに気づきたい歓びがここにあります。竹下文子さんの作品は、一、二世代上の女性童話作家たちの作品が孕むダークで蟲惑的な死の匂いとは一線を画して、本書のように死をテーマにしながらも健全なファンタジーやメルヘンの向日性があると思うのですが、時折、見え隠れする棘のようなものに心を刺されてしまいます。その淡い痛みがまた心地よい刺激なのかも知れません。繊細な感受性を表出する魅力的な物語の紡ぎ手であり、その手腕には今後も瞠目すべし、と思っています。尚、個人的な竹下文子作品ベストは絵本『ねえだっこして』で、もう、この本を読むと、僕は心の中がバラバラになって、半日、潰れます(是非、ご一読ください)。