ジェリーフィッシュ・ノート

The Thing About Jellyfish.

出 版 社: 講談社

著     者: アリ・ベンジャミン

翻 訳 者: 田中奈津子

発 行 年: 2017年06月

ジェリーフィッシュ・ノート  紹介と感想>

主人公の七年生の女の子、スージーの暴走ぶりに、ちょっと引きます。彼女は、ごく真面目なタイプなのですが、決して慎重ではなく、思いもよらぬアクションを起こしてしまいます。破天荒な上に、本人には信念があるので手に負えません。とはいえ、彼女には、そんな突き抜けた行動を起こさないではいられない事情があるのです。放っておけないタイプというか、見張っていないとマズイ人です。これ、『ひとまねこざる』が無茶苦茶をやるのを見ていられない感じに似ています。それでもページをめくらないではいられません。完全に理解不能ではなく、腑に落ちるところもあって、不思議な共感ももたらされます。近しい人の死と向き合う時、人は冷静ではいられないものだと思います。あるいは、その動揺も、迷走も、人を悼むことなのかもしれません。もちろん、痛恨も後悔もまた。夏休みが終われば七年生になる、その数日前に起きた出来事に、スージーは驚き、言葉を失ってしまいます。親友だったフラニーが、海水浴で溺れて亡くなったという知らせに大いに動揺してしまったのです。泳ぎが得意だったフラニーが溺れてしまったことがスージーには納得がいきません。その謎を解くヒントを、学校の遠足で訪れた水族館でスージーは見つけます。フラニーはクラゲに刺されて、その毒のために水中で動きが取れなくなってしまったのではないのか。それはまだ仮説であって、本格的な調査と研究が必要でした。それを事件の真相だと考えるスージーは、インターネットを駆使して、クラゲについて調べ、さらには専門家に質問しようと、頼りになりそうな研究者をピックアップします。なんて書くと、ミステリーの謎解き風な物語が思い浮かぶのですが、実際はかなり違います。そうした行動は、スージーの苦渋と後悔への代償行為であって、ここまでにスージーがやってきたことが明らかになってくる展開に、驚かされ、やはり引きます。かなり引きます。が、目をそらすわけにはいかないのです。

スージーがフラニーと親しくなったのは五歳の時です。その頃から泳ぎが得意だったフラニーをスージーは覚えています。先生にもっと沢山の友だちと付き合った方が言われながらも、ずっと二人だけで仲良く過ごしてきたフラニーとスージー。他の子たちのことなど気にならない。むしろ、同じ学校のオーブリーのような、可愛くて人気者だなんて鼻にかけるような子にはならないと二人で誓っていたのです。そんな二人に不協和音が次第に鳴りはじめるのは五年生になった頃。スージーは相変わらず、おしゃれにも興味がなく、科学や生物や宇宙が好きなちょっと変わったタイプの子。一方でフラニーは男の子に興味を持ったり、おしゃれすることが大切になっていきます。フラニーに変わらないでいて欲しいと思うスージーの気持ちをよそに、フラニーはだんだんとスージーとすれ違っていくようになります。六年生になり、中学に進学すると、二人の亀裂は大きくなります。他の子たちとはズレたことばかり言っているスージーのことを、フラニーは恥ずかしくなり、彼女に冷たく接するようになるのです。自分とは違うタイプの子たちと仲間になって、違うサイドに行ってしまったフラニー。スージーは、ここでフラニーを目覚めさせなければならない、と思ってしまいます。だって、かつてフラニーは、もし自分が変わってしまったら気づかせて欲しいと言っていたのだから。そこでスージーがとった行動は、愛情があるというものの常軌を逸していて、フラニーを傷つけることになります。スージーには、かなり怖いタイプのストーカー気質であるスージーがあり、その心境には驚かされます。おいおいおいおい、と言いたくなります。さて、二人の関係がこじれまくったところで、フラニーが亡くなります。それは、スージーに何をもたらしたか。ここから始まる物語のスージーの心境告白が、実に魅力的な苦闘なのです。

いわゆる変わり者であるスージー。その趣味や論理的思考力など、彼女の心に映る世界は実に興味深いのですが、スタンダードな中学生の趣味趣向からは逸脱しています。幼なじみの関係性はそうした志向性で結びついているものではないので、次第にタイプが合わなくなり、友情が御破産になることもままあることです。興味深いのは、スージーはスタンダードではないことを、わりとあたりまえに受容できるタイプだということです。両親が離婚している、ぐらいはよくあることですが、お兄さんがゲイであることも、ごく当たり前のように受け止めているし、ADHDの同級生のことも、自分が理解ができれば、納得できるのです。ところが合理的に理解できることと、理解できないことがある。おしゃれに入れ込んだり、男の子に熱をあげるような感覚はわからない。ロック湖のキャンプで、地球の生き物は互いの声を聞きながら、音楽を奏でているオーケストラだ、なんてことを言い出すスージーの感覚は、彼女なりの合理性があるのですが、やはり他の子たちからは、変わり者の戯言にしか映らないのです。フラニーに自分のそばにいて欲しかったスージー。仲違いしたまま、永遠に別れることになってしまった親友が不慮の死を遂げた要因を突き止めようと、どんどんと暴走していく姿は、いじらしいといえば、いじらしく、人をこうした形で悼むこともあるのだと、感慨深く思います。彼女のことを温かく見守る人たちがいてくれることが救いであり、迷走と葛藤を経て、スージーが新しい世界を獲得していく未来に、やや希望を抱ける、そんな物語です。