出 版 社: 講談社 著 者: ルイーズ・フィッツヒュー 翻 訳 者: 鴻巣友季子 発 行 年: 1995年05月 |
< スパイになりたいハリエットのいじめ解決法 紹介と感想>
ハリエット=ウォルシュは小学校六年生の女の子。なりたいものは作家。だけれど、現在はスパイです。将来、作家になるのならすべてのものを書きとめなさい、と家庭教師のオール=ゴーリーに言われたハリエットは、字が書けるようになって以来、ずっとノートブックに観察したことを書き綴ってきました。〈タウン〉という彼女の考えた遊びは、この町を物語に変えるもの。ご近所の監視対象の人たちを毎日見に行く定期ルートがあり、誰にも見つからず、その動向をノートに書き記しています。そんなノートも15冊目。変装用めがねに古いブルージーンズのベルトに七つ道具を引っかけたスパイウェアで身を固めた自分は、もはや本物のスパイなのだという自負があります。つかまったことのない優秀なスパイ。その観察眼は学校でも発揮されており、同級生たちについても、思ったことをすべてノートに書き残しています。それはかなり辛辣で、遠慮がないコメントばかり。変な顔を見れば、どんな変な顔かを詳細に書く。これは他人が見れば悪口帳としか思えない代物です。このノートが同級生の手に渡ってしまったがために、ハリエットは教室での居場所を無くしていきます。今まで友だちだった子たちからも冷たくあしらわれるようになりますが、基本、ハリエットは反省しません。なぜって、人が見てはいけないと表紙に書いてある秘密のノートを見る方が悪いのだから。同級生たちはスパイ狩りクラブを結成し、ハリエットを追撃しますが、ハリエットはスパイとして、これを受けてたちます。とはいえ、鋼のメンタルのハリエットもまた、多少は弱気になります。この状況を覆すため、ハリエットがとった行動とは何か。奇想天外。不思議な感受性を持った、強烈な個性の主人公ハリエットの、いじめ解決法とは。けっこうどっちもどっちなんですけどねー。
ハリエットの性格形成に大きな影響を与えたのは、家庭教師のオール=ゴーリーです。ハリエットの家はお金持ちのようで、料理人や住み込みの家庭教師がいます。このオール=ゴーリーが謎の人物なのです。いつもものすごく几帳面な口調で、どんなことでも明確に述べる彼女。ハリエットを決して甘やかすことなく、厳しく躾ける彼女の発言は深淵で示唆に富んでいます。多くの書物を読んでおり、博覧強記で、それを引用しながら、色々な警句をハリエットに与えます。クールで、そして、賢明すぎて、どこかズレてもいます。ハリエットもまた、頭の良いオール=ゴーリーを信奉していますが、やはりノートブックには、彼女は変な顔だと正直に書くのです。そんなオール=ゴーリーが恋をして、ハリエットには意外すぎる行動を取ったりと、また、世の中の真実を見せつけられて驚かされたり。この二人の意見交換がともかくも楽しいやりとりなのです。ところが、とあるきっかけから、オール=ゴーリーは家庭教師の仕事を辞めることとなり、ハリエットの元を去ることになります。庇護者であり、理解者であった彼女を失ったハリエットに、同級生にノートブックの存在がバレるという事態が訪れます。その対処に手を焼く日々に、オール=ゴーリーからの手紙が届きます。彼女の手紙は相変わらず彼女らしく、甘い言葉はひとつもなし。ただクールにアドバイスを与えてくれるだけのものですが、この世界で上手くやれなくなっているハリエットへ処世術を伝えるもので、そこにはオール=ゴーリーなりの愛情が見え隠れするのです。ハリエットもまた、彼女の真意を受け取り、行動を開始します。この信頼関係が実に小気味良い。頭は良いけれど、個性的過ぎてズレているし、そんなことをあまり気にもしない強烈なキャラクターは、凹まされても萎縮せず、普通の子のようになることもなかったのです。さて、ハリエットは孤立無援の学校の中で、どう振舞ったのでしょうか。
ものを書くというのは世界に愛情をそそぐこと。そこには、多少のうそが必要であり、それでも自分自身には真実を語りなさい。オール=ゴーリーからハリエットはそうアドバイスを受けます。ハリエットは校内新聞の編集委員となり、ほんとうのことを書き綴っていきます。それはハリエットの才能の輝きを見せながらの、彼女を追い込もうとするクラスのリーダーとの闘いでもあり、その欺瞞を暴いたりもするわけですが、最後、上手くまとまるのは驚くべきところ。自分に正直に生きる覚悟が輝く、ともかく、おためごかし一切なしの、あけすけなリアルには、かなり驚かされるところです。アラン・グラッツの『貸出禁止の本をすくえ!』は、ある日突然、教育委員会が、本の内容が子どもが読むにはふさわしくないと決めた本が、学校図書館で貸出し禁止にされてしまいます。この『スパイになりたいハリエットのいじめ解決法』もその一冊。保守的な良識からすれば、この本、子どもが読むにはどうかと思う人もいるでしょう。だから面白いということもありますが、エキセントリックなだけではなく、表面的には見えにくいところに、愛情や真理が潜んでいることもポイントです。1964年にニューヨークで刊行された本が、作者の死後、日本で刊行されたのは1995年。そこから四半世紀経った2020年にこの文章を書いていますが、この作品の鮮烈さはまだまだ色褪せてはいないと思います。