青春ゲシュタルト崩壊

出 版 社: スターツ出版

著     者: 丸井とまと

発 行 年: 2021年06月

青春ゲシュタルト崩壊  紹介と感想>

この物語には「青年期失顔症」という架空の病気が登場します。青年期に周囲に合わせるために個性を殺し、自分を見失うと発症する病気で、鏡や写真に映った自分の顔が見えなくなり、思い出すこともできなくなるという症状があります。他の人からは普通に見えているのに、自分には見えなくなってしまう、過度のストレスを原因とした精神疾患です。厄介なのは、この病気にかかったことを知られると、人前で自分を偽っていたことが公になってしまい、それもまた非難の対象になってしまうことです。人に相談することも難しく、余計、人前で取り繕った自分を演じ続けなければならない悪循環があります。「青年期失顔症」が、この物語の世界の中ではよく知られている病気であるという設定は、顔を失った主人公をさらに追い込むことになります。「青春ゲシュタルト崩壊」というタイトルの物々しさだけでも勝ったも同然なのですが、幾重にも拘束されている状況を主人公がなんとか突破していくことや、恋愛要素もあり、なかなかの読み応えが約束された作品です。児童文学では「緘黙」などの心因性の要因によって言葉を失った子どもがよく描かれますが、顔を失うということにもまた象徴性があります。周囲に極度に気を使い、自分を押し殺さなくてはならない世界が、ごく普通の学校生活であって、環境を恨むこともできません(それもどうかと思うんですけれどね。学校ってそんなところであったか)。主人公が繊細すぎるのか、周囲の圧が強すぎるのか。とはいえ、そこで黙って我慢してやり過ごせることが美徳ではないのです。病んだからこそ活路が見つけられることもあります。閉塞した学校生活や自分自身の心の壁を打ち破るための過酷な試練を与えられた主人公を、是非、見守って欲しいところです。 

高校二年生の朝葉(あさは)が顔を失ったのは、部活動の女子バスケットボール部の人間関係のストレスによるものです。二年生と一年生の対立が激しくなり、露骨に一年生に嫌がらせをする同学年の仲間たちとの距離をはかりかねている朝葉は、自分のことを陰で悪く言われているのを聞いてしまい、深く傷つきます。表向きは親しくしながらも、雑用を押しつけられ、いいように利用されている自分。二年生のまとめ役として、相談を受ける一年生との間でも板挟みとなり、顧問の先生に相談しても気持ちをわかってもらえず一方的な指示を与えられるだけ。真面目で頼りにされている自分は周囲の期待を裏切るわけにはいかない。嫌われたくない。好かれていたい。そんなことばかりを気にしている自分に呆れながら、どうにもならなくなっていたのです。ついに窓に反射した自分の顔が見えないことに気づき、手鏡にも写らない自分に取り乱していたところを、同学年の朝比奈君に見られてしまった朝葉は、思わず彼に自分の顔が見えるかと聞いてしまいます。進学校に不似合いな金髪の少年、朝比奈君は、普段、無愛想で素っ気ない態度なのにも関わらず、朝葉を気づかい、保健室へと連れて行ってくれました。後日、朝葉は、朝比奈君の従兄弟が青年期失顔症をわずらい、それを彼が懸命にサポートしてきたことを知ります。カウンセリングを受けることを勧められながらも勇気が持てない朝葉は、体調を崩し、さらに部活の不協和音の渦中で窮地に追い込まれていきます。青年期失顔症を打ち明けたら、厳しい母親にどう思われるかも不安で、家族にも秘密にしてしまう朝葉。素っ気ない素振りながらも陰で支えてくれる朝比奈君に力をもらい、やがて朝葉は、自分の意思を周囲の人たちに伝えていこうとします。が、これが多難なのです。逃げだしたいぐらい多難なのです。

この物語、悪玉と善玉が明確に描き分けられていて、潔さを感じるところです。唯一の例外が朝葉に最後に理解を示すお母さんですが、それ以外は、まあ、こう言ってはなんですが、ひどい人たちばかりです。表向きは親しくしていながら、信頼関係はない友だち。先生は独善的で頭ごなし、生徒は意地が悪く身勝手です。この理不尽な空間で朝葉は責められ、追い込まれていきます。実に容赦のない荒野です。朝葉が顔を取り戻すためには、この過酷な世界で、自分の意思を主張する必要があります。しかし、朝葉が部活を辞めることが「都合の悪い」人たちには大いに反対されます。自分が我が儘なのだと誤解させられそうにもなります。それでも、自分が「利用されている」だけだという事実に向きあい、意思を貫くのです。サポートはありましたが、自助で乗り切った力業の結末だったかと思います。そうした中で、実は、同じ小学校、中学校出身で、密かに朝葉を気にし続けてきた朝比奈君の存在が響いてきます。表向きクールに振る舞いながらも朝葉に親身であり、彼女を支えていく、ちょっとアウトローの少年。ここに得恋の甘さがあることが、物語の苦さを中和してくれます。とはいえ、まあ しんどい物語です。八方美人である必要はないものの、適度な処世術やバランス感覚も必要ですが、誰が本当に自分のことを大切に思ってくれているのかを見極めるべきですね。さて、声の大きい身勝手な悪玉たちは、本当に自分の正義を信じて疑わないのか。ベタな悪役たちの心の叫びも聞いてみたいところです。