スベらない同盟

出 版 社: 講談社

著     者: にかいどう青

発 行 年: 2019年09月

すべらない同盟 紹介と感想>

クラスの人気者が転校生のいじめられっ子をプロデュースして人気者に変えていく、といえば白石玄さんの小説『野ブタをプロデュース』であり、名手・木皿泉さんの脚本でTVドラマ化されたことでまた違った味わいのある作品になリました。ドラマ化に際して、いじめられる野ブタが男子から女子に設定変更されているあたりにも妙味はあって、主人公他との関係性の変化が自ずと生じているのも見どころです。現代(2024年)だとジェンダー的正論を意識してロマンを語れないところはあるのですが、ここにある性差には、また響くところがあります。本書もまた、クラスの人気者が転校生のいじめられている男子を人気者にするために活躍する物語です。児童文学でスクールカースト上位にいる子が主人公であることは珍しいですが、石川宏千花さんの『U F Oはまだこない』などが思い出されるし、その上から目線からの気づきもまた興味深いところです。当初、本書を読んだ際にあれやこれや思い出される作品が多く、一方で、主人公が軽音楽部でパンクに心酔していると言いつつ、それこそ『拝啓パンクスノットデット様』のようにはディテールが詰められていなかったり、お笑い(漫才)にチャレンジするというあたりもまたまたで、やや凡庸な印象をもった前半だったのですが、これが見事に覆される逆転の仕掛けや、ディテールに込められたものに心を動かされ、読後には多くの方におすすめしたいと思わせる感慨を抱いてしまうのは驚きです。以下、ネタバレせず紹介したいと思いますが、ここまでですでに大いに匂わせており、ついそんなことをしたくなってしまう愛おしさのある作品かと思います。

中学二年生の新学期。レオは自分のクラスに転入生がいることに気づきます。出席番号がレオのひとつ前の彼は藍上恵一(あいうえけいいち)という変わった名前でした。フレンドリーなレオは恵一に話しかけますが、話は弾まず、会話もとぎれがちです。見た目もさえないし、休み時間に一人でライトノベルを読んでいるような大人しい少年である恵一は、クラスでも素行の悪い細木たちにさっそく目をつけられ、色々ないじめを受けていることをレオは気づきます。学級担任でレオが所属する軽音楽部の顧問でもある斉藤先生に恵一の様子を見てほしいと頼まれたレオは、細木たちから恵一を守ってやろうと考えます。そのためにはと、まずは恵一を軽音楽部に引き込んでみますが、もとより音楽には興味がなく、彼の関心はもっぱら本ばかり。そんな恵一から本を借りて読んだり、いろいろな知識のある彼と話をすることで、次第にレオは彼自身のユニークさに興味を持つようになります。借りた本に挟まっていたルーズリーフに、恵一が二次創作を書いているのを見つけたレオは、その才能を活かせないかと考えます。高校の演劇部の生徒たちがコントを作る物語を模した恵一の原稿は面白く、レオは恵一に台本を書かせて、二人で一緒に文化祭の舞台で漫才をやることを持ちかけます。そこには、人気者の自分と組んで漫才をやれば、恵一のクラスでのポジションも上がるのではないかというレオの目論みがありました。しかし、細木たちと揉めたことから、レオの学校での立場は凋落していき、執拗な嫌がらせを受けるようにもなります。クラスではその正義感が鼻につくと無視されるようになり、恵一からも拒絶されてしまったレオは、孤立したまま、仕方なく、一人で文化祭の舞台に登ることになります。さて、その演場でレオは何を語ったのか。レオのキャラクターに魅せられる物語です。

思わぬ伏線が回収されるなど物語の仕掛けがあり、またそれによって全体の解釈がひっくり返る展開があります。そうした面白さに加えて、主人公であるレオの心境の変化や小さな気づきなど、その心に響いたものが巧みに表現され、心地良く、苦味もまた孕んでいるあたりが絶妙です。すべらない同盟というタイトルは、漫才をやろうとしていたレオと恵一のコンビ名です。すべらないとは、漫才であれば、失敗せずに絶対にウケることを意味していますが、ここに大きなメタファーがあります。すべらないのは、摩擦の力です。抵抗があり引っかかるからです。物語の前半で、リオは物知りな恵一から摩擦ルミネセンスという、摩擦の力で生じる放電現象を教えてもらいます。ガムテープを剥がす時、摩擦の力で光が生じる。ここに人間関係によって生じる摩擦が掛けられていきます。軋轢ではあるのですが、それもまた光を放つのです。レオは制服を着ず、いつもスクールジャージで過ごしています。パンクロックに興味があるのも、既成の概念に縛られない自由なスピリットを持っているからです。外見もかわいらしく、優れたところも多い、クラスのヒエアルキーの中では上位にいる子です。一方でナチュラルで正義感も強い変わり者は、ナチュラルに人気があるため、巧く立ち回ることなど意識しておらず、教室の脆いバランスの中で梯子を外されることもあります。主人公に好意を持つ読者、としてではなく、距離を置いた第三者として見ていると、レオの「賢明ではない点」も目につきます。そのフレンドリーさや正義感の危うさ。それは自分自身への自信の表れでもあります。レオは自分の慢心やおごりも意識していきます。周囲の人間の気持ちをまた、より深く理解していきます。それが、誰しもが持つ小さな悪意を許容する、というあたりに踏み込むことも、なかなか深淵を覗いていると思わせる作品なのです。