出 版 社: 教育画劇 著 者: あさのあつこ 発 行 年: 1996年12月 |
< バッテリー 紹介と感想 >
中学入学を間近にひかえた春休み。巧は父親の転勤のために、家族とともに広島と岡山の県境にある新田市に引っ越してきました。新田市は両親の地元であり、家族はこれから母の実家で祖父一緒に暮らすことになったのです。小学生時代、地元の野球チームでピッチャーとして活躍していた巧は、この祖父と暮らすことに大きな期待を抱いていました。かつて高校野球部の監督として幾度もチームを甲子園に導いたことのある名監督であった祖父。自分には足りない技術である変化球を教わろうと思っていた巧でしたが、祖父にすげなく断られてしまいます。まだ、身体ができていない巧が覚えるには早すぎるという祖父の言葉に、巧は苛立ちを覚えます。これまでも自分の気持ちが理解されない苦しみに、巧はずっと苛まれてきました。自分がどんなに野球に魂を注ぎ込んでいるのか。そんなことはまるでわからない両親。学生の頃は美術部だったという父親は野球に疎く、巧のポジションすら知らないのです。両親の関心は主に身体の弱い弟の青波に寄せられています。弟にできない野球が自分にはできる。こうした環境の中で、いらついて気持ちを尖らせていく巧は、意固地に野球一途になっていくのでした。
引っ越し早々でも日課のランニングを欠かさない巧は、その途上で身体の大きな少年と出会います。永倉豪というその少年は、以前に巧が野球大会で投げているところを見ていたと言います。巧とは母親同士が友人であり、あらかじめ巧が越してくることを知っていた豪。キャッチャーであり、巧と一緒に野球ができることを楽しみにしていたようです。その翌日から豪は巧を訪ねてくるようになり、キャッチボールから始めて、二人はさらに本格的なピッチング練習へと進んでいきます。わずか5球を逃しただけで、自分の全力投球のボールを受け止めることができた豪に巧は驚きます。巧はこれからの中学校での野球生活に俄然、期待を持てるようになり、胸の高鳴りを覚えるのです。開業医の息子である豪は、親から中学入学を機に勉強に専念してもらいたいと言われています。しかし、豪もまた巧との出会いで、野球への思いを新たにしていました。仲間たちすべてに視線を注ぎ、周囲の気持ちを計っていく芯もしっかりした少年である豪。自分が球を投げて打者を討ち取ることしか頭にない、万事、いらないものを切り捨てていくタイプの巧。性格の違う二人が組む時、どんなバッテリーが生まれるのか。やがて一緒の中学に入学する二人は、同じ野球部で野球をすることになります。これからの期待感に満たされた春休みの物語です。
不敵で不遜な巧の自信が、周囲からの影響でふいに揺らぐところに妙味があります。巧には投手としての優れた才能を持っています。そして、野球原理主義とも言うべき巧の価値観もまた独特です。年齢も学年も仕事も家庭も、野球には一切関係がない。傍目もふらず、ただ野球にだけ本気になればいい。でも、自分一人ではキャッチボールさえできないのも野球なのです。仲間という要素を見落としている巧。それはある意味、野球の本質を見失っているのかも知れません。豪の紹介で、地元の野球少年たちと顔見知りになっていく巧。弟の青波もその仲間に入って、野球をやってみたいと言い出します。巧は弟に対して、自分でも手に負えない心の衝動を感じます。野球はそんなに甘いもんじゃない。弟への複雑な愛憎を持て余している巧の心の微妙なバランスは、強気を装いながらも脆くも崩れさり、それを取り繕う姿には、まだ子どもっぽい幼さを見ることができます。祖父や豪、弟の青波の言葉が巧の心に突き刺さり、気持ちに変化が兆していきます。しかし、生硬な気持ちを抱えていてこその巧であり、そんな簡単に聞き分けが良くなってもらっては困るのです。頑なな少年は、これからの小さな目覚めを沢山はらんでいる存在です。野球の魅力ではなく、少年の魅力を語る物語として、そう簡単に心変わりしてもらうわけにはいきません。できれば、この物語に後続するシリーズ全巻を通して読んで、少年たちの熱い思惑のバトルが次第に盛り上がっていく様子を楽しんでいただきたいと思います。世の中には雑音が多いものですが、それをシャットアウトするのではなく、その周波数を調整してなんとか聞いていられるようにすることが大人としては求められます。純粋な少年たちを活写しながら、この物語には実に大人らしい大人たちが登場します。逆照射される大人像にもまた注目です。