出 版 社: 小学館 著 者: 朽木祥 発 行 年: 2022年06月 |
< パンに書かれた言葉 紹介と感想>
大抵のことは他人事だし、対岸の火事です。歴史で学んだことも、ニュースで見る世界の出来事も、興味を持つことはあっても、基本、自分とは無関係なことです。事件や事故、災害の被害者になるのは、余程、運の悪い人だろうと、たかを括っている。そんな態度は如何なものかと疑義を呈する方も多いと思います。だからといって、人はすべからく被害者になるべし、ということではないのです。安全な場所にいながらでも、窮地の人に心を寄せることはできる。共感する力が、人としての本質であり、他人事を自分事に引き寄せるダイナミズムこそがヒューマニズムです。近年の日本で、コロナ禍と東日本大震災は、多くの人に衝撃と、また実際、その生活にも影響を与えた事件です。自ずと当事者意識が芽生え、人の考えを深化させ、共感力を養うものになったという、なけなしのメリットはありました。あの震災を描く児童文学作品もまた、災害にあった子どもたちが苦しみや哀しみに対峙する姿を描きながら、より痛ましい境遇にいる他者へ、子どもたちがどんな眼差しを向けているかを描き出しています。さて、当事者とは、一体、誰なのか。実際に被害にあった人間だけが当事者ではありません。ただ、その認識を確かなものにするためには、特別な体験が必要になります。誰かから話を聞くこともその一つです。本書は、あの震災をきっかけに、両親と離れて一人で母親の祖国であるイタリアに赴くことになった十三歳の少女が主人公です。第二次世界大戦時のイタリアの戦禍を知り、また夏休みに父親の故郷である広島で、原爆の惨禍を知ります。橋渡しとなったのは、自分の血縁者たちが、その時代に感じていたことの「記憶」です。一心に耳を傾け、話を聞く。その記憶のバトンを受けとった主人公は、当事者として未来に向かって走りはじめます。その姿を見守る物語は、読者もまた自分自身のスタンスを問われているものなのだと、俄に気づかされるはずです。
主人公の名前は、光・S・エレオノーラ。イタリア語で光という意味のエレオノーラを縮めた愛称はエリー。日本人の父親とイタリア人の母親を持つ少女は、十三歳の中学生です。彼女が住む鎌倉では、あの大震災による直接的な被害は少なかったものの、テレビから流れてくる深刻な状況や、計画停電などの生活の不便、両親の仕事へ影響が目に見えてきて、気持ちもそわそわとして、まるで心がしびれたように感じはじめています。そんな状況で、この春休み、両親と一緒に母の故郷のイタリアを訪ねる予定が変更になり、エリーは一人で北イタリアの田舎の小さな村であるステラマリス、そこに住むノンナ(祖母)や親戚の元に滞在することになります。エリーはそこで、第二次世界大戦中に十七歳で亡くなった祖母の兄のパオロが遺した、文字が書かれたパンのことを知ります。一九四三年。祖母が自分と同じ十三歳の時に体験したのは、ユダヤ人の友だちをアウシュビッツに連れて行かれてしまったこと。そして、パルチザンとして反ナチスの戦いを続けていた兄が、処刑されてしまったことです。祖母が語る言葉をエリーは受け止め、気持ちを添わせていきます。そしてパンに遺されたパオロの言葉の意味を光は考えます。あの戦いは、どうしたらよかったのか。自分のこととして、光は過去の戦争を捉えていきます。イタリアで深く心に想いを刻んだエリーは帰国した後、中学校に通い、夏休みを迎えます。そして今度は、父の故郷である広島に、また一人で向かうことになるのです。そこで祖父のもとに滞在したエリーは、祖父が少年の頃に体験した原爆の話を聞きます。原爆で亡くなった祖父の妹である真美子大叔母の日記などの記録は、祖父の記憶の中の彼女が語られることでエリーの心に強く訴えるものになっていきます。戦争の記録を、祖母や祖父の記憶として聞くこと。話を聞くことで死者を悼み、痛みを抱えながら生きる人の心を慰める。十三歳の繊細な少女のまなざしが捉えたものが、物語を織りなしていきます。
ファミリーヒストリーをうかつに紐解くと、子どもには受け止めきれない加害の歴史を見せつけられることもあります。父祖が迫害や虐殺をする側の当事者であったことも、ない話ではなく、その罪業を引き受けることは、重いパトスです。そんな当事者意識に苦しめられることもあるでしょう。あの震災を描く物語の中にも、原発事故を起こした電力会社に勤める親を持つ子どもも登場します。誰かを責めるのではなく、これを罪深き人類の連帯責任としてシェアする、というのが落とし所かも知れません(そうではない、怒りをたぎらせる物語もまたあります)。他人事にせず、当事者であり続けること。本書は、同じ過ちを繰り返さないように、心に刻む物語です。それは、一体、誰の過ちであったのか。正解がない問いを考え続けることもまた、当事者の生き方だと思います。話を聞く側であるエリーの視点で描かれた物語ですが、孫娘に自分の胸に閉じ込めていた想いを伝えることで、祖父母もまた癒されていくように感じられます。痛みもまたシェアされる。受け取った言葉を繋いでいくことで、かつての痛みを解放することができれば良いのですが。いつか平和の願いがかなう、その希望を胸に灯していくことが大切ですね。朽木祥さんが物語として繋ぎとめた原爆の記憶は、それぞれ光を描いたものです。『八月の光』『光のうつしえ』、本書では、主人公の名前、光・S・エレオノーラに、その想いがこめられています。光は希望の縁語です。君が見た光は、僕が見た希望に繋がります。そこには、ふれあいの心や、幸せの青い雲も想起されがちですが、大切にすべき真理は、巷間に溢れているということかもしれません。