ぼくたちはまだ出逢っていない

出 版 社: ポプラ社

著     者: 八束澄子

発 行 年: 2022年10月

ぼくたちはまだ出逢っていない  紹介と感想>

この本の帯のキャッチコピーを僕が書くとすれば「中学生男女、ウルシ沼にはまる」です。水難事故や怪奇事件が起きる物語ではありません。「沼にはまる」とは特定の趣味領域に没頭して抜け出せなくなることを言う、近年流行りの慣用表現です。それぞれの経緯で、漆(うるし)の魅力に取り憑かれてしまった中学生の男女二人。今時の中学生が「漆にカブれる」という意外さが、ダブルミーニングになっていることも絶妙であり、そんなレアな二人が、物語の中盤過ぎに、ようやく出逢う場所が、皮膚科の待合室という展開にも莞爾とさせられます。沼には抜け出し難い魅力があります。特定の沼の住民であることを、自嘲しながらも楽しげに語るのがマニアの矜持です。「狭いながらも楽しい我が家」のように、うっそうとした沼暮らしもまた自分にとって素敵な居場所なのです。ということで、この本の帯の本当のキャッチコピー「居場所なんて、どこにあるんだろう?」につながっていく想いがここにあります。それぞれ屈託を抱えた中学生が、好きになれるものに出逢い、夢中になっていく時、自分の居場所が見つかります。そこにはまた、同じ気持ちを共有できる仲間がいます。子どもたちに限らず、人はなかなか自分の心が落ち着く居場所を見つけることができないものです。そんな場所との出逢いも偶然だし、機会に恵まれないこともあります。それでも、いつかどこかで巡りあえる希望は誰にも灯っています。暗い森を抜けると光が見えてくる。自分の所在のなさにもがいている中学生たちの葛藤や苦闘は、やがて訪れる多幸感溢れる終盤に至るための助走です。まだ自分の居場所と出逢っていない「ぼくたち」にもエールを贈る、沼にはまってしまった子どもたちの愛おしい物語です。

中学二年生の女子、美雨(みう)の塚本という名字は、お母さんが再婚した相手の姓です。その人を、心の中で塚本さんと呼んでいる美雨は、一緒に暮らして二年目になってもまだ家族としてギクシャクしていると感じています。美雨は塚本さんの連れ子である、一学年上の男子、大也(だいや)ともまともに口をきいたこともありません。美雨にとって、自分の家は、どうにも緊張する場所になっていました。自分の存在は邪魔で、ここに居ない方がいい。塚本さんに気を使われると余計、いたたまれなくなる。臆病になり、自分に自信が持てなくなってしまった美雨。学校が終わっても家に帰るのをためらう美雨は、お母さんの再婚と同時に越してきた、見知らぬ京都の町を散策するのが日課になっていました。そんなある日、見つけた一軒の骨董店。出窓に飾られた、ひとつの美しい茶碗に美雨は魅せられ、ここに日参するようになります。やがて店主とも親しくなった美雨は、それが銘のある茶碗であり、金継ぎという技法で修復されていることが美しさを引き立てているのだと教えてもらいます。割れた器を漆で接着し、その繋ぎ目を金で彩色する。壊れたものに、ふたたび命をふきこむ金継ぎに、美雨は夢中になっていきます。店主から金継ぎ職人の衣川さんが営む天平堂を紹介してもらった美雨は、その技法を学ばせてもらいます。漆に混ぜものをして糊のように割れた器を接着する。当然のことながら、漆に触ればかぶれます、手を赤く腫らして、皮膚科に行くことになった美雨が、待合室で出会ったのは、自分と同じように漆にかぶれ手を腫らした、同じ中学に通う義理の兄の大也と同級生の少年、陸(りく)でした。さて、ここで二人の主人公が出逢うまで、物語はなんと三分の二近くを費やしていたのです。

陸が漆に近づいた経緯が、美雨とはまったく違うのが面白いところです。部活で活躍できず、暴力的ないじめにもあい、学校が息苦しく気持ちの塞がる場所になっていた陸。英国人の父親を持つハーフで、金髪の美少年として女子からもてはやされても、自分に自信を失っている陸は、鬱々として楽しめない日々を送っていました。父親と一緒に気晴らしに出かけた山で見かけた漆の木の、あえて傷つけた樹皮から樹液が自分を修復するために湧き出す姿に感銘を覚えた陸は、漆に興味を持ち調べはじめます。どんなに傷つけられても自らを修復できる。その力強さに陸は励まされます。その漆の樹液が、壊れた器をつなぎ、より美しく再生させていくこともできる。美雨との出逢いから、陸はさらに漆の奥深さを知ることになります。素材としての漆と、用途としての漆の魅力を、それぞれの主人公のパートで、彼らが驚きを持って知るプロセスと、新しい家族との関係性に悩む美雨と学校で傷つけられた陸が、再生の希望を抱いていく展開が見事に組み合わさっていきます。そして、もう一人、この物語には、陸の友人で成績優秀で身体が弱い樹(いつき)という少年が登場します。陸は心優しい友人である樹への依存度が高く、一方で、陸を経由して親しくなった美雨と樹が互いに惹かれあっていくあたりに、また絶妙の面映さがあります。この三人のトライアングルの関係性の危うさも心配されるところですが、どこか微笑ましく思ってしまうのは、その空間が彼らにとって幸福な居場所だからです。自分が夢中になれるものを見つけて、同じスピリットを共有できる人たちと関わることができる。ここは現実問題からの逃避する場所ではなく、現実に立ち向かう力を養ってくれる場所です。物語の終盤、美雨が新しい家族と繋がっていく姿に、その美しい力の波紋を見ることができます。漆についての多くの知識を得ることができる物語です。塗料としてお椀などに使われ、ずっと身近な存在でありながら、知らないことが多く驚かされました。同じく木の樹液であるメープルシロップを題材にしたニューベリー賞受賞作『メープルヒルの奇跡』という作品もありましたが、その象徴性はやや異なっています。漆の樹液の採取方法は木にとって過酷なようにも思えて、その痛みに心を寄せられる、児童文学との親和性をより感じました。再生の希望が託された物語です。是非、ウルシ沼にどっぷりと浸かってもらえればと思います。八束澄子さんの作品では、高校生男子が機械工作沼にはまりこんでいく『おれたちのドリーム・ファクトリィ』もお薦めします。