出 版 社: 偕成社 著 者: 岩瀬成子 発 行 年: 2011年10月 |
< ピース・ヴィレッジ 紹介と感想>
米軍基地のある町に暮らす小学五年生の楓。この頃、気になるのは年長の友人である紀理の自分への態度が素っ気ないこと。遊びに誘っても断られ「わたしと付きあったりしないほうがいい」と言い出すのは、紀理が中学生になって、小学生の自分とはつきあいたくないから、なのでしょうか。そんな思春期の女子同士の難しい関係を描く児童文学作品と思いきや、この物語はやや違った方向に進んでいきます。そこには、ここが「基地の町」であることが大きく関わっています。楓の家は基地の近くでスナックを営んでいます。祖父が始めた店を父親が受け継いだもので、この町では古参のお店です。お客さんは基地に勤める米軍兵が多い。基地の町には基地の恩恵によって暮らしている日本人もいるのです。一方で、騒音などの環境問題や、反戦意識から基地の存在の是非を問う人たちもいます。ここに勤務している兵士たちも、危険な紛争地帯に派兵されるかも知れない。紀理の父親は人道的な立場から、多年にわたり米兵を説得するビラを配り、平和運動を続けている人でした。父親が病気で入院することになり、紀理は父親の活動の真意を知ることになります。紀理に兆していく心の変化を、楓目線で捉える物語であり、楓自身もまた大人の心の事情を理解し始めている自分への戸惑いなど、非常に繊細な心の動きが、研ぎ澄まされた言葉で表現されていく物語です。岩瀬成子ワールドの魅力満載の心惹かれる一冊です。
楓の不安感。世界で起きている戦争の恐怖に、楓が苛まれているのは、テレビで恐ろしいニュースを見たからだけなのか。ある意味、ここは日本で一番、戦争に近い場所です。なにせ基地の町です。一般の日本人も基地に出入りすることができるフレンドシップデーがあったり、子どもたちが遊びに行くピース・ビレッジという児童館も基地の関連施設のようです。ピース・ヴィレッジで子どもたちに英語を教えてくれる米軍兵もいるし、楓は自分の家のお店にくる兵隊とも親しくしています。そんな彼らは指令が下れば、過酷な戦地に赴くことになるのです。楓にとっての日常と非常に近いところにある戦争。そして、同じ一市民としてというスタンスで、紀理の父親は米軍基地の兵隊たちに戦争反対を訴え続けます。やっかいで気ままな大人が登場し、子どもたちがただ当惑する、というのは岩瀬成子さん作品でよく描かれる光景です。色々な大人たちの心のうちを分かり始めてしまったことに戸惑う楓の不安感が、この世界に対する危機感とも、ないまぜになって渦巻きます。楓にとっては小さな頃からの日常であった、この場所に米軍が駐留していることの意味や、米兵をあたたかく迎える自分の家のようなお店があることの意義に気づき、世界の広がりを感じていきます。どこか、デイビッド・アーモンドの『火を喰う者たち』を想起させられる物語です。この世界への漠然とした危機感を子どもが覚え、不安になる。必ずしも積極的な平和運動を推奨することではなく、色々な大人の立場を斟酌しながら、鷹揚に受け入れていく子どもの気持ちの行きどころに、不思議な感慨を覚えます。
岩瀬成子さんのデビュー作『朝はだんだん見えてくる』と同じ「基地の町」の物語です。あの作品が書かれた1970年代の終わりの、まだベトナム戦争への反戦の残りの熱があった時代と現代とでは、世相が大きく変化しています。70年代の反動で政治的なものにコミットすることの忌避感は80〜90年代の若者には強かったと思います。そして、時代はさらに変化し、若者世代の社会運動への考え方も変わってきた印象です。もっとも以前の若者世代が親になっているため、大人世代の価値観はあまり変わらないものかとも思っています。ただ、現代の若い人の意識は確実に変化しているし、若者の最先端である「子ども」のリアルに寄り添う児童文学のあり方は考えさせられます。1970年代の児童文学には、さとうまきこさんの『絵にかくとへんな家』や飯田栄彦さんの『飛べよトミー!』など、物語の中の大人たちが積極的にベトナム戦争を忌避した兵隊の脱走を手助けする活動が描かれていました。ベトナム戦争や営利主義企業に怒りをたぎらせ、信念のためには非合法というか犯罪も厭わない『さらばハイウェイ』など、凄い作品が目白押しだった70年代。岩瀬成子さんは、その70年代にデビューし、今もどこかにそうした尻尾が見え隠れする作品を描かれています。アンダー60歳では踏み込めない世界を描く鉄筆があります。一方で、子ども心の繊細な波動と、理不尽をありのまま受け入れてしまうような虚無と、内在する怒りと、それでも漠然とある希望と、複雑で判然としない子ども時間がここに凝縮されています。気持ちがザワザワとする、そんな読書時間を是非。