たそかれ

不知の物語

出 版 社: 福音館書店

著     者: 朽木祥

発 行 年: 2006年11月


たそかれ  紹介と感想 >
ふいに「洞穴みたいな目をして」たたずんでしまう、ということ。目が洞穴だなんて、どういうことかというと、恐らく何も写していない、がらんどうのような目ということなのでしょう。目が節穴、とは良く言うけれど、目が洞穴とは。この直喩の凄さだけでも、この物語で描かれる登場人物の心の悲痛がわかってもらえるかと思います。酷く心が傷ついてしまい、もう目の前のことなんか意識にひっかからないような空っぽの状態。優しい目、だけれど何も写していない。心のパンチドランカー。だからと言って、大声をあげて泣き叫ぶわけではない。徹底的に叩きのめされて、くちゃくちゃにされてしまって、立ち上がれない心を抱えながら、それでも、普段は微笑みを絶やさず、明るく、振舞っている。時おり、現実から乖離してしまって、心が漂ってしまう。その目に写っているものは、現実の風景なのか。戦争から傷痍兵として帰還した青年は、左腕を失っていました。バイオリニストだった彼から奪われたのは、その片腕だけではなく、音楽を演奏する喜びでした。青年の失意はそれだけではありません。戦場から、仲間たちと離れ、一人で帰ってきたことへの悔恨。戦友から託された遺書に書かれていた「本当の言葉」にも、彼は打ちのめされてしまいます。洞穴みたいな目をして、亡霊のように生きている青年を、見守っている二つの目がありました。青年の友だちは、彼の痛みと悲しみを知り、その心に寄り添っていました。戦火が激しくなり、離れ離れになってしまった二人。今は、逃げるんだ。だが、待っていてくれ。「あとで、きっと会えるから」。その遠い約束を守るため、青年の友だちは待ち続けました。それはあまりにも永い、永すぎる歳月でした。

『かはたれ』という少女の心の成長物語の続編として描かれた本作品は、前作とは、また趣の違う、素敵な世界が紡ぎだされていました。小学生であった少女、麻も、現在は中学三年生となっています。あの事件から、もう四年が経過していました。麻は、かつて自分が遭遇した不思議な事件を思い出しながら、いつも、誰かが目の前に現れることを待っていました。今はいない誰かを待ちわびる、その切ない気持ちを知っている麻は、やがて、永い時間、友だちを待ち続ける「彼」と出会い、その心を感じとってしまいます。待ちかねた人と再びめぐり会うこと。それは、もはや叶わない願いなのかも知れない。それほど永い、永い時間が経ってしまっていました。それでも彼は、ここで待ち続ける。その切ない祈りと願いを叶えようと、麻は、再び巡りあった友だちと一緒に奮闘します。時間を巻き戻し、あの瞬間にたどりつくことはできるのか。彼が、見捨てて逃げてしまったと思っている、大切な友だちを救い、そして、彼自身の心を救うことはできるのか。少女たちの真摯な想いが胸を打ちます。美しい自然のいのちと一緒に生きていくことの、清新な心の震えがいとおしい爽やかな一冊です。

本当に美しいものは目には見えない。心の目を見ひらいた時、はじめて感じられる世界はある。でも、今は、ちょっと、心が世界を受け入れられないから。傷ついてしまった心は、すこしの間だけ、休ませてあげなければならない。無理に奮い立たせることはできない。野生動物が自分の傷を癒すように、ただ静かに、じっとしていよう。人間の心にも、そんな回復の時間が必要です。励ましは必要だけれど、大きすぎる声では届かないこともある。黙って、ただ一緒に寄り添っていることが、言葉を越えて、心を慰めてくれることもある。前作『かはたれ』の中で、心がびっくりして、萎んでしまったまま、美しい世界を感じることができなくなっていた少女は、少しずつ回復して、ゆっくりと世界をとりもどしていきました。羽化したばかりのトンボが、ゆるやかに羽を広げていくように。そして、今、物語は、聞こえているのに、美しい音楽が聴こえなくなってしまった、傷ついた心を描きだしました。世界は、美しさに溢れているけれど、閉ざされた心には、何も届かない。しかし、心はゆっくりと回復していくことができるのです。美しい世界を取り戻した少女は、心の手をつなぎあえる人たちと一緒に、今度は、自分から傷ついた心に寄り添おうとします。月の光の音楽と、鳥や昆虫の羽ばたきと。静かな音楽はいつも聞こえている。その音に耳をすませて気がつく、美しい自然のいのちが僕たちの周りには溢れていることを。名前も知らない空や風のことも、感じとることができる。痛んだ心は少しやすませてあげましょう。耳には聞こえない美しい音楽が心に届きます。沢山の知識を吸収して、あまりにも多くのことを知りながら、世界への関心を失ってしまっている人に。自然の美しさに気がつけなくなってしまった人に。この物語を是非、贈りたいと思います。