ヘヴンリープレイス

出 版 社: ポプラ社

著     者: 濱野京子

発 行 年: 2010年07月

ヘヴンリープレイス 紹介と感想>

児童文学作品で仮想敵となるのは、体面や世間体ばかりを気にするわからずやの大人たちです。良い学校、価値のある仕事、高学歴や経済的な優越性にばかり価値を置き、色眼鏡で人を見下す。独善的で他の価値観を認めようとしない。なんでも自分の思い通りにしようとする、そんな頑固さに、子どもは辟易としてしまうのです。一方で、自由なスピリットと博愛と賢明さを持ったリベラルな大人は、必ずしも社会的に立派な人物とは思われないこともあります。そんな構図の中で、子どもは、大人から押し付けられた既成の価値観に疑問を抱き、真を穿って行こうとします。フラットに考えてみれば、保守的で良識派であることは悪いことではなく、親という立場だったら、子どもを一般的にまともな価値観で守りたいと思うものでしょう。本書の危うさは、このまともさよりも、人生で大切にすべきものが他に提示されてしまうことです。もちろん、わからずやの大人たちが子どもを大切に思う気持ちもまた感じとれるもので、総じて、主人公が愛されていることがベースにあって、価値観のバリエーションを体感するぐらいの冒険に収まっていることは安心できます。ただし、シチュエーションは非常にスリリングです。端的に言って、本書で描かれる「小学六年生がホームレスと親しくなり、彼が不法占拠している空き家に入り浸るようになる」という行為と展開は、一切、まともの範疇にはないでしょう。しかし、そこに確実にあった大切なものは、良識派の大人たちの目には届きにくい光です。既成の価値観に閉じ込めれていた子どもたちは、そこで解放され、進むべき道を自分で選びとっていけるようになります。とはいえ、この状況は幸福なレアケースであり、ヒヤリハットも含め、九割方は危ない目に遭うものでしょう。場合によっては、命の危険もあります。よって、コンプライアンス的な要請から、物語のカタルシスは、その場所との「お別れ」をどのような気持ちで迎えられるかに結実します。かりそめの邂逅だからこそ切なく胸に灯る光はあります。そんな時間と空間を繋ぎ止めた傑作です。

夏休み。小学六年生の和希(かずき)は、引越ししたばかりの家の周辺を散策していたところ、雑木林で虫捕り網を振り回している少年と出逢います。九歳だという英太(えいた)は年齢よりも幼い印象で、無邪気に和希になついてくるその態度に、和希はちょっとした悦びを覚えていました。そこそこ優等生で親の期待にも応えている良い子であったはずの自分に、和希は自己不審を覚え沈んでいました。学校ではかげで同級生の俊成をいじめ、塾に行こうとするとお腹の具合が悪くなる変調から、塾も休んでしまっている現在。必要以上に親に心配されていることを意識して、和希は息苦しさを感じていました。そんな折に始まった幼い英太との交流は、和希にとって、あたたかい気持ちを抱かせるものだったのです。しかし、英太に連れて行かれた「家」に、和希は驚かされることになります。電気も水道も止まっているそのあばら屋には、有佳(ゆか)という中学生の少女と、史生(ふみお)という少年がいました。二人は英太の兄姉ではなく、全くの他人で、ここで老師に会いに来ているのだというのです。不登校の有佳と、児童養護施設から抜け出して来たという史生。英太もまたどうやら訳ありの子のようです。一体、そんな少年少女が集まってくるこの廃屋の主である、老師とは何者なのか。この家に出入りするようになった和希は、やがて老師とも親しくなります。果たして老師は、その呼び名のような老人ではなく、自分の父親よりも若い、藤川卓也という青年でした。定職はなく、夜間にアルバイトをし、コンビニから廃棄食品をもらって来て、史生と二人でここに暮らしている老師は、実際、他人の打ち捨てた住居を不法占拠しているホームレスです。それでも、有佳や英太がここに居ついてしまったように、和希もまた、老師に心惹かれていきます。勉強を教えてくれるだけではなく、勉強する意味も教えてくれる老師。豊富な知識を持ち、子どもたちの言葉を聞き、真理を説き、アドバイスしてくれる。そんな老師ですが、どうやら故郷には帰れない過去の失敗や複雑な事情があるらしいこともわかってきます。老師に導かれて、和希は自分が本当は音楽を好きだったことを思い出します。中学受験をやめたいのに親の前では言い出せない自分。和希はこの場所に通うことで、本当の自分の気持ちに気づいていきます。ところが、毎日、図書館に通っていると行って家を出ていたことが嘘であることが、両親にも知られてしまいます。老師や英太たちとの付き合いもいぶかしがられたことで、和希は、本当のことをわかりもせず判断をくだす両親に怒りを覚えるようになります。そんな折、老師が警察につかまったとの報せが和希に届き、和希にとって大切だった場所は姿を消すことになるのですが、子どもたちは老師との時間に与えられたものを自分の力に変えて、未来へと進んでいきます。

物語を美しくまとめるとこうなのですが、是非、精読いただいて深淵を見極めて欲しい物語です。「ヘヴンリープレイス」というタイトルは本文中には出てこない言葉であり、老師の住む廃屋が、家族のいない史生にも、父親に虐待を受けている英太にも、自分の才能に自信を失っていた有佳にとっても、特別な場所であったことを象徴しています。老師は、リベラルであり、物事の表面だけではなく真理をとらえて、子どもたちをあたたかく見守っています。ただ、やはり社会的な観点からは、いかがわしい人物であり、その心映えだけを子どもたちのように手放しで評価することはできません。だからこそ、子どもたちの信頼は尊く、老師が彼らに与えたものの大きさを思います。物語を通じて、和希の気持ちが深まっていき、彼の漠然とした不満や不安が明晰になっていきます。親の期待に応える良い子でありたいのに、そうなれない自分への失意。自分の価値を見出そうとすれば、親の価値観との相克が生まれ、葛藤せざるを得ず、そこから本当に自分が望むものを見極めていく心の軌跡が丁寧に描かれていきます。これもヘヴンリープレイスでの老師や仲間たちとの時間がもたらしたものです。いやまあ、親の側の心配も大変ごもっともなのです。全肯定できない危うさとその裏腹にあるものという、狭間に生まれた奇跡を愛しむのみなのですが、本当、これは滅多にあることじゃないので。子どもたちの健全で安全なサードプレイスについて考えさせられますが、危うさもまた魅力であることは否めないかな。