ポストガール

出 版 社: メディアワークス

著     者: 増子二郎

発 行 年: 2002年06月

ポストガール  紹介と感想>

清く正しく、そして真摯に、ある少女ロボットの中に芽生えた「こころ」の話をしたいと思います。未来。戦争は多くの人間の命を奪い、戦後四年たった今もその痛手をひきずっていました。戦災による人口の急激な減少。そして、今後、人口が回復していくという可能性は、きわめて希薄な状態となっている世界。そんな中で、残された人間が求めたものはなにか。それは自分たちが破壊しつくしてしまった人間同士によるコミュニケーションだったのです。製品番号MMF-108-41。郵便配達用の人型自律機械。アストロラーブ産業統合体の製品。商品名メルクリウス。この物語は、そのメルクリウスの一体、人間からはシルキーと呼ばれている、やせっぽちの少女型ロボットが主人公です。荒廃したこの世界で、郵便物を運搬するのは、メルクリウスという人型をした工業製品でした。足りない人的労働力を補完するのみではなく、辺境の地域でも人間的な接触を求めている人たちに人間らしい接触という「サービス」を提供する機械。その微笑や優しさはプログラムされた機械的な演出。けれど、人の心を、孤独の飢餓的状態から救うことができる。手紙が運ぶのは、幸福の知らせだけではなく、時として、人の心を引き裂くような悲しい通知を行うこともあります。孤独のうちに、自分の子どもの戦地からの帰還を待ちわびる老親のもとに届けられる、軍からの死亡通知と個人識別票。生身の人間は、それを届け続ける精神的負担には耐えられない。メルクリウスは、人の嘆き悲しむ声を聞き届け、慰めと、暖かいコミュニケーションで人々に奉仕します。時として、一緒にお茶を飲み、談笑し、手紙を朗読することもあれば、代筆もおこなう。メルクリウスとは、そういう機械なのでした。外見からは、ほとんど、人間との違いがわからないほどの精巧な機械。そして、その作りものの感情も人間には本物のように感じられる。人間と同じ姿で、心を持っているかのように見えるメルクリウスに人々は癒されてきたのです。

シルキーの「心」には、悲しい通知を配達することに、「辛い」という感情が芽生えていました。それは、最初に手紙をとどける仕事をした際に、配達した家の人からふるまってもらった、ロボットには不要なミルクを「好き」になったように。彼女のプログラムには、発生するはずのない人間らしい「感情」というバグ(故障箇所)が広がっていたのです。このバグが露見すれば、シルキーは不良品として廃棄処分にされてしまいます。人間のようにふるまうことは求められていても、想定外の感情を業務に持ち込んでしまう「こころ」は、メルクリウスには不要なのです。自分自身のバグを意識しながら、それでも目覚めてしまった「感情」を大切に思うシルキー。郵便配達夫としてのシルキーは、行く先々で、色々な人物たちと出会います。自分と同じように壊れて「感情」をもってしまい、人間の孤独の悲しみを癒すために郵便物を配達した家にとどまったメルクリウスのシャンベル。自分を人間だと思いこんでいる自律機械のアディティ。かつて人間の兵士で、軍事目的の昆虫型兵器に脳を移植されたグレーゴル。戦災で大怪我を負い、金で買い集めた同級生たちの身体の部品をつなぎ合わせたツギハギだらけの少女、ラートリー。それぞれ、深い悲しみを負った「こころ」たち。シルキーは、どうしても、この悲しみを感じ取ってしまう。過剰な人間らしさをもってしまったがゆえに、相手の心に寄り添って、その痛みをシェアしてしまう。たとえ悲しみであっても、人の感情と触れ合うことを求めてしまう自分に気づいたシルキー。壊れれば壊れるほど、人間に近づいていく。数々のシルキーの出会いを描いた連作短編は、簡潔で、キレのいい文章で、シルキーの感情の起伏を伝え、感じさせてくれます。シルキーが、人間の心の美しい部分だけを持ち、そして、言葉巧みに機械的な慰めを言えないこと。真実の思いで、人を慰めるには、まだシルキーの心は成長過程にあって、悩み、言葉をさがしあぐねる姿。そこには、人間本来の純粋な優しさがあり、悩み苦しむ、その心のうちを慮ってしまうのです。亜人間を描いているからこそ、人間性というものの美しさをストレートに描けるのかも知れませんが、こんな物語で心を満たすのもいいかも知れません。

エイミー・トムスンに 『ヴァーチャル・ガール』 という、人工知能製作が禁止された世界で、自分の伴侶として少女ロボットを作ろうとしたオタク青年の物語があります。うーむ、しょうがないなあ、と思って読んでいたら、これがとても良い作品なので驚きました。従順で、なんでも言うことを聞く少女ロボットを求める、などという男の妄想は、かなり愚かしくも寂しい感じがしますが、まっとうな物語は、こうした機械の少女たちにも自立した精神と強い心を与えます。奇想の設定ゆえに、逆に本来の人間存在が持つ純粋な優しさ、美しさが理想的に描かれていくものなのかも知れません。人間と向かいあってくということは、相手の人間的欲求も自分のそれと同じように認めあっていくものです。人形を欲しがるだけの人は、なかなか人間とつきあうことは難しいものだと思いますね。