出 版 社: 福音館書店 著 者: 伊藤遊 発 行 年: 2003年06月 |
< ユウキ 紹介と感想>
転勤族の子どもたちが多く通う札幌の小学校。転校してくる子もいれば、転校していく子もいます。生徒の五割以上は六年間在籍することがない、となると、生徒は自ずと、出会いと別れを繰り返すことになります。友だちになった子が転校してしまった喪失感に胸を痛めている主人公のケイタに、新学期、また新しい出会いが巡ってきます。失うことを覚悟しながら、新しい出会いに期待をしていないでもない。そんな気持ちは、ちょっと大人びてもいて、子どもから一歩先に進んだ、思春期の心の機微を感じさせられます。この作品、そうし特殊なロケーションにある学校の子ども同士の関係性が描かれていますが、物語のベースに理性や理知の輝きがあります。ボタンの掛け違いを、理解する。絡まったヒモを、紐解いていく。感情にまかせず、公正であろうとする。一方で、人を失った悲しみに心が塞がってしまうようなウェットさも同時にあります。センシティブであり、叡智の輝きもある。そんな姿が魅力的です。主人公の観察眼から見える教室の風景が分析的であることもさりながら、そこに悪意や人を見下すようなところがなく、思いやりに溢れている。なにより、そこにある公正さ。教室の閉塞感を描く物語は多いものですが、一線を画す突破口が描かれた作品です。鬼才・伊藤遊さんの手練には、現代を舞台にしたリアリズム作品でもまた耽溺してしまうところなのです。児童文学社協会賞受賞作です。
小学一年生の頃から、どうしたわけか転校生のユウキという名前の子と親しくなるケイタ。祐基と悠樹、そして、勇毅。それぞれに個性的だったユウキたち。けれど、彼らは皆、転校して行ってしまい、取り残されたような寂しさをケイタは感じていました。六年生になって、またクラスに転校生が入るということを知ったケイタは、まさかと思いながらも、どこか期待もしていました。しかし、転入してきた大人しい男子の名前はユウキではなく、ケイタとは親しく遊ぶようなタイプでもない。ところが、もう一人の女子の転校生の名前こそが優希だったのです。小学六年生の男子としては、女子とそう親しくするようなことはありません。ただケイタには、ユウキという名前だけではなく、彼女の教室での危ういスタンスも気になっていました。最初の自己紹介で、占いができると口にした優希。偶然なのか、本当に能力があるのか、彼女の占いやおまじないが奏功したために、不思議少女として、優希は教室の人気を博していくことになります。ただそのことが、同級生の無理な願いごとを引き寄せることにもなり、彼女の手には余るものになっていきます。ケイタは、優希のそんな姿を見て、占いなんてでたらめでくだらないとわざと口にして女子たちの反感を買います。ただ、その言葉の真意に気づく子もちゃんといたのです。ケイタが予期していたように、やがて優希は教室での居場所を失い、孤立していきます。さて、ケイタは優希にどう接したらいいのか。だからといって、親しくするわけでもなく、優しい言葉をかけるわけでもないけれど、ケイタは優希の想いに触れ、彼女によって、ある奇跡を得ることになるのです。
ナイーブな少年の視線が見つめる孤高の少女の物語は、彼女の秘めた想いを共有することになる、というのが常套ですが、大凡、哀切とともに思い出だけが残されるものです。この物語は、ちゃんと具体的な問題の解決策が提示され、綻んだ関係性の修復が鮮やかに行われていきます。これがおためごかしでも、きれいごとでもなく、関係性の再生プランとしてのアイデアが虚を突く、憎い展開となっていきます。そこまでに、この物語に登場する子どもたちが、教室での関係性の在り方について鋭敏で繊細な感覚を発揮していることを目にしており、文脈の中で腑に落ちるものになっていく展開です。学級代表のヨシカワという女子は、彼女なりの正しさで優希を批判し、彼女なりの正しさで彼女を助けようとします。好き嫌いという感情よりも公正な態度を優先することは、なかなかできることではありません。教室で「空気を読まされる」のではなく、さりげない気遣いで人をフォローし、気まずくなりそうな空気を「換気」していくこと。それが計算高さではなく、ナチュラルな思いやりであることが素敵なところです。少年たちの友愛の清新さや、もはや不思議少女ではなくなった優希にケイタが抱く特別な思いなど、読みどころ満載の物語です。