ライラックのワンピース

出 版 社: ポプラ社

著     者: 小川雅子

発 行 年: 2020年10月

ライラックのワンピース   紹介と感想>

小学六年生の時に、こんな多幸感のある出来事に遭遇すると、残りの一生を無条件に肯定的に送ることができるのではないかとさえ思います。そんな幸福な物語です。いえ、手放しに浮かれているわけではなく、多くの葛藤があり、悩みもあります。人を亡ったことの哀しみも消えてはいません。とはいえ、この物語の時間にずっととどまっていたいと思うような、そんな素敵で心地良い作品なのです。どうしてなのかと考えているのですが、ここでは仕事にとりくむ人の矜持がリスペクトされ、背筋の伸びた美しい価値観が尊ばれ、打算や傲慢さがない世界の美しい理想が輝いていているからなのではないかと思います。リベラルな考え方を頭ごなしに否定するような、現実にはありがちで、物語でも仮想的になるような頑な大人は出てきません。むしろ大人はより深謀遠慮があり、子どもたちを温かく見守っていてくれる存在です。そんな安心できる、心地良い空間がここにあります。子ども同士にも悪意はなく、理不尽さもない。つまりは、意地の悪いものや、偏見や人を見下したようなところがない(ナチュラルに主知的であったり、学識礼賛があるのは仕方がないとして)。上手く行き過ぎてしまって、現実的な苦さのないこの物語の世界観に、少なからず複雑な気持ちを抱く人もいると思うのですが、やはり満ち足りていて、読書の幸福がある物語だと思うのです。第9回ポプラ社ズッコケ文学新人賞大賞受賞作。YA未満の児童書の楽しさと児童文学の成長や痛みがほど良くミックスされた、素敵な物語です。

トモこと智広は小学六年生の男子。身体が大きく、サッカーチームでも活躍しています。そんなトモが家族以外には秘密にしている趣味が、裁縫です。まだ小さなバックや巾着などの袋ものを作る程度ですが、かなり夢中になっていて、人使いの荒い姉のミカからは「裁縫少年」と呼ばれ、繕いものを頼まれることもしばしばあります。トモが裁縫を好きになったのは、仕立て仕事をしていた裁縫名人の祖母の影響です。クリーニング店を営む祖父と一緒に、修繕や仕立てを担当していた祖母。トモに裁縫の技術とスピリットを教え、その針目をいつも褒めてくれていた祖母は急に亡くなり、すでに三ヶ月が経っていました。残された祖父のことを心配して訪ねても、その気持ちを思いあぐねて店に立ち寄ることがはばかられるトモが、祖母の部屋で見つけたものは、修繕仕掛けのワイシャツでした。祖母と同じやり方ができるトモは、早速、ボタンをつけ、お客さんに届けることにします。業務日誌に残された記録から預かり先が里見ハーブ園だとつきとめ、届けることにしたトモに、そこで運命の出会いが待っていたのです。里見ハーブ園で同じ六年生の女の子、リラを園長から孫娘だと紹介されたトモは、彼女が着ている青いワンピースの裾の短さが気にかかり、ついつい目をやってしまいます。これは誤解を受けてリラのに嫌われたと思ったトモででしたが、後日、訪ねてきたリラに、裁縫少年であることを見込まれてワンピースの「お直し」を頼まれることになり驚きます。清楚なお嬢さまのような話し方をするリラの「お願い」に、照れまくりながら、うっかりと引き受けてしまったトモは、かつて祖母が「お直し」をした記録を遡り、難しい素材で作られた、そのライラック色のワンピースに挑むことになります。張り切りながらも、自分にできるのだろうかという不安もあります。同じ頃、倒れて怪我をした祖父の容態も心配だし、試合が近いのにサッカーの練習に集中できていないことも、仲間を裏切っているようで気にかかります。そんな沢山の思いを抱えながらも、亡くなった母親から受け継いだ大切なワンピースを着続けたいリラのために、成長していく身体を彼女が気にしなくて良いように、トモは「裾を伸ばす」ことに奮闘するのです。なんとも面映く、浮足立つ少年の気持ちにシンクロして、読みながら照れまくってしまう楽しい物語なのです。

恋愛未満の好意や、友情や、子どもたちがそれぞれの良さを認めあい尊重していくところなど、その心模様がとても素敵です。大人たちの仕事への矜持も、修練によって培われてきたものだとトモが気づいていくあたりも良いのですね。ライラック色のワンピースは元々、祖母が仕立てたものであり、祖母の遺してくれた記録を頼りに、ワンピースの難しいお直しをするトモは、祖母の知恵と工夫をトレースするだけでなく、祖母がたゆまない努力によって、その技術を磨き、考えを深めていったことを知ります。そしてトモもまた、このお直しを通じて、鍛えられていくのです。この物語の大人たちの言葉には含蓄があり、それは経験に裏打ちされたもので、深謀遠慮がある。しかも、自分を閉じ込めてしまいがちな子どもの心を解き放つ示唆に富んでいます。トモの父親の冗談めいた言葉もまた、緊張を解きほぐしてくれる励ましで良かったですね。たしかに「二兎追うものは一兎も得ず」は賢明なアドバイスです。お前はこうすべきだと、意に沿わないことを頭ごなしに強制されることだってあるものです。しかし、この物語では、どちらも好きでいいんじゃない、と大人が言ってくれれます。自分の心に素直に従い、未来の可能性をとざさないこと。偶然、出会ったものからも、新しい何かを発見していくこと。道を外れたと思っても、そこに新しい道がある。そんな心の姿勢を物語が礼賛し、後押ししていきます。どうにも素敵な未来がここにある。幸福な読書時間を約束できる物語です。実際の大人は、賢明な選択をしなかったために夢敗れて傷ついた経験があり、子どもたちに手堅く生きることを諭したくなるものかも知れません。僕も色々と夢中になり、作曲、料理、創作、評論の公募で賞を貰ったことがあるのですが、いずれも優秀賞や佳作止まりでモノになっていません。色々なことに手を出しても中途半端で、そんな自分が嫌になることもあります。それでも色んなことにチャレンジしてみるのは凄く面白いことなのだと、なんら成功していないけれど、臆面なく言ってもいいのかなと、そんな勇気ももらえました。いや、趣味はほどほどに、まずは真面目に会社員の仕事をしろですね。