天使のにもつ

出 版 社: 童心社

著     者: いとうみく

発 行 年: 2019年02月

天使のにもつ  紹介と感想>

中学生が様々な仕事を体験する、職場体験という実習があります。飲食店などで、中学生に給仕されてビックリしたなんていうのは、もう随分前の話で、現在(2020年)ではわりとスタンダードなものとなっています(地域差はあるかな)。これが授業の一環として行われるのは面白いですね。自分が子どもの頃に較べるとキャリア教育は格段に充実している気がします。いや、教育テレビの『はたらくおじさん』を見せられた記憶しかないのは、自分が何も覚えていないせいなのか。仕事柄、学校図書館向けの本を良く見ますが、ことキャリア教育に関連した本の多彩さには目を見張るところです。実際、子どもの目に届きにくい仕事はあるものです。いや、表向きは見えていても、その苦心や歓びは伝わらないものか。職場体験は、短い期間ですが大人の世界に入って、その職業を内側から見ることができます。子どもたちにこの体験が、どんな世界を見せてくれるのか。中学生にとっては大きなイベントであり、児童文学作品の中でもとりあげられることが増えてきている題材です。結果は人それぞれかと思いますが、何か得難い体験をすることになるのでは、という期待感はあります。ただ働くだけではなく、そこにちゃんとした大人の指導が組み込まれていることが、アルバイトとは違うところでしょう (職場体験モノは、また受け入れる側の大人たちの物語でもあるのです)。この物語では、わりと軽いノリの中学二年生男子の主人公が、保育園での職場体験から多くを学び、感じとっていきます。軽いけれども、悪いヤツでも、イヤなヤツでもない。そんな兄チャンに兆す真摯な思いや、大きな気づきにグッとくるのです。”

中学二年生の風汰が職場体験の実習場所をエンジェル保育園に決めたのは、楽ができそう、と思ったからです。だって、子どもと遊んでいるだけでいいんだから。風汰はかなり軽いノリで生きているタイプ。明るくて良い子なんだろうけれど、まあテキトーそうな印象です。そんな風汰が「マジミスった」と自分の選択を後悔するのにはそれほど時間はかからなかったようです。目に入りそうな前髪を額の上で結んだ、おかしなチョンマゲのお兄ちゃんとして、子どもたちの前に登場した風汰。0歳から5歳児までの子どもたちの面倒を見ることは実際には大変で、疲労困憊します。ふざけた髪型、だらしない返事と態度とアホさ加減が群を抜くと、保育士さんたちに呆れられるのも、子どもたちを寝かしつけようとして自分が寝てしまうような風汰だから。とはいえ、風汰自身は無自覚だけれど、子どもたちにどこか好かれていて、受け入れられているのです。中でも、しおん君という大人しい子に風汰は懐かれます。しかし、偶然、町でしおん君とお母さんが一緒にいるところを見かけた風汰は、ある違和感を覚えます。その疑念は、保育園でのしおん君の様子を見ているうちに風汰の中で大きくなっていきます。虐待の疑い。それを感じているのは風汰だけではなく、保育士さんたちも同じなのですが、積極的に干渉しない保育園のスタンスに風汰は戸惑います。その真意はどこにあるのか。アホで何も考えていない、そんな風汰なりに、しおん君に寄り添っていく姿が胸を打ちます。保育園の実習と並走する、風汰がのら犬を隠れて保護するエピソードもまた考えさせられるところがあります。ナチュラルにバカで至らない点ばかりの風汰ですが、弱者への優しさを持ったその心根が魅力的なのです。

どうせ大したことはできなんだから、なにもしなくていい、と思ってしまいがちです。自分一人が頑張ったところで何も変わらない。そんなふうに世の中で起きていることを諦めてしまうこともあります。ただ諦められてしまった対象は、見捨てられたも同然で、救われようがないのです。弱者を自分が救えるなんて思いを抱くことは奢りです。かと言って、簡単に諦めてはいけない。ちょっとでも手助けができるならそれでいいのだと考えるべきかも知れません。子どもや動物の虐待事件をニュースで見るたびに、怒りを覚えます。でも、何が出来るわけでもない。いや、ちょっとなら手助けができるのか。軽いようでいて、わりと正義感のある風汰は、自分がなんとかしてあげなきゃと思ってしまいがちです。のら犬のことも、しおん君のことも。そして、自分の至らなさに落ち込むのです。風汰が保育園の園長に『お母さんの代わりはできないけれど、お母さんができないことをほんの少し補うことはできると思っている』と諭される場面が印象的です。保育士の林田が、自分たちは「カレーのルー」が間に合わない時に、ちょっとした調味料として、おかずを賄う存在なのだと、その役割や使命を説明するのもユニークなところです。心配するだけではダメだと風汰は考えますが、心配するだけでも何かが動くこともあります。頑なな完璧主義に陥らず、出来ることを少しでもいいからやってみる。このスピリットは凄く大切なことですね。医者か弁護士じゃないのなら無職の方がマシ、というキャリア教育大失敗みたいな人のように(流石にそれはギャグなんだろうなとは思いますが)、100%を求めるあまり、1%も動けなくなることはあるものです。自分の経験則ですが、理想に疎外されない合理的な考え方は、学校よりも職場の方が身につくものです。働いている人たちの、こうした感覚をちょっと目にするだけでも職場体験の効用はあるかも知れません。もちろん物語では、そこに兆した少年の心の変化や成長こそが主題です。まったく、この子はちゃんとわかってるのかね、と思ってしまうところが風汰の魅力で、呆れながらも微笑んでしまうのです。けっこうイイ奴なので。