出 版 社: あすなろ書房 著 者: ゴードン・コーマン 翻 訳 者: 千葉茂樹 発 行 年: 2019年07月 |
< リスタート 紹介と感想>
屋根から落ちて頭を打ち、これまでの記憶を失くしてしまった少年、チェース。自分が何者なのかわからない彼に周囲が教えてくれたのは、チェースが学校のフットボールチームのスタープレイヤーであったということ。しかし、やたらと乱暴なチームの仲間たちのふるまいにチェースは違和感を覚えていきます。チェースにも次第にわかってきたのは、学校の大人しい生徒たちが自分に対して怯えていることです。まだ小さな義理の妹さえ、自分を怖がって敬遠している。どうやら同じフットボールチームの仲間たちとともに、学校で我がもの顔にふるまい、過激なイタズラやいじめを繰り返していたことにチェースは気付き始めます。しかも、仲間たちの中心で悪事を働いていたのがチェース当人であり、学校一のワルこそが自分だったのです。この事実に、現在のチェースは動揺します。過去の記憶がないチェースは、人柄までも変わってしまい、ごく普通の、いえ、随分と善良な少年になっていました。そんな彼が過去の自分の行為に直面し、罪の意識に苛まれながら、それを受け入れて反省し、次の行動につなげていきます。人生をリスタートした少年のドラマが多角的な視点で描かれ、登場人物たちの心の機微がとても愛おしく感じられる素敵な物語です。
激しい怒りの衝動でフローズン・ヨーグルトをチェースの頭にぶちまけたのはショシャーナ。双子の弟のジョエルがチェースたちの激しいいじめに遭い、転校を余儀なくされたことをショシャーナは許せなかったのです。なにせジョエルが演奏しようとしていたピアノを大量の爆竹で吹き飛ばすという暴挙の主犯が目の前にいるとなれば、咄嗟にそんな行動に出てしまっても無理はありません。一方で記憶を失っているチェースは、何も思い出せないものの、そんな復讐をされる自分の「正体」の責任を痛感していました。チェースはフットボールのスター選手であることをいいことに、学校で傍若無人に振舞い、他の人間を見下していた過去の自分と向き合いはじめていたのです。脳震とうの予後の大事をとってフットボールを休むことになったチェースは、ふとしたきっかけから手伝うことになったビデオクラブの動画製作に魅了されていきます。かつてチェースたちに「オタク連中」と蔑まれ、虫けらのように扱われてきたビデオクラブのメンバーは大いに戸惑います。そしてショシャーナも、すっかり変わったチェースにわだかまりを持ちながらも、どこか惹かれていくのです。チェース自身やビデオクラブやフットボールチームのメンバー、ショシャーナやジョエルなど、それぞれの視点から語られていく物語が実に魅力的です。チェースは本当に変わったのか。皆んなを騙して笑い物にする周到な計画ではないのか。人の心の痛みをわかる人間になったチェースが過去の自分の罪に直面し苦しむ姿や、周囲が彼を信じたいと思う気持ち。チェースを過去の姿に引き戻したい、チェースのワル仲間たちの気持ちなど、それぞれの思惑が順番に語られながら、なだれ込んでいくクライマックスまで、胸を熱くさせられる物語は続きます。
ピアノを爆破したことの罰として、チェースはワル仲間たちとともに老人ホームでの勤労奉仕を課されています。以前は老人たちのことを馬鹿にして気にも止めていなかったチェースですが、記憶喪失以降、かつて戦争の英雄だったという偏屈な老人、ソルウェイさんと親しくなっていきます(このくだりは『ガッチャ! 』に通じるボーイミーツオールドボーイです)。しかし、ショシャーナと一緒にソルウェイさんにインタビューを行いビデオ作品を作ろうという試みは、チェースにとって過酷な記憶の扉を開けるきっかけになってしまうのです。「記憶喪失」は物語のワイルドカードであり、ドラマの展開を飛躍させる設定です。記憶喪失の主人公が自分の過去を探っていく物語はミステリアスで魅力的であり、この思春期の心情をつぶさに描いたYAでは、この道具立てが最大限に活かされています。「加害者側の立場」だった主人公が過去を悔い後悔しても、その姿を信じてはもらえないものです。自分で自分を許せないと嘆いていても、被害者側の立場からすれば、そんな苦衷もとるに足らないものかも知れません。それでも、どこか応援したくなるのです。チェースのリスタートを手に汗を握りながら見守れる特等席がここに用意されています。