普通のノウル

出 版 社: 評論社

著     者: イ・ヒヨン

翻 訳 者: 山岸由佳

発 行 年: 2022年10月

普通のノウル  紹介と感想>

『普通のノウル』というタイトルの、ノウルとは夕焼けを意味する言葉であり、本書の主人公である高校生の少年、チェ・ノウルの名前です。「普通」「平凡」「平均」とは何かを主人公が自問自答し続ける物語は、最終的には、たとえ「当たり前であること」の軌道を外れても、幸福を見出せる大きな世界観を見せてくれます。ただそこに至るまでは葛藤があります。現代韓国YAを読んでいる際によく認識させられる「普通」であることの難しさ。それは受験や就職において韓国が過酷な競争社会であることが要因です。日本でも国民総中流意識が限界を迎え、相対的貧困などのキーワードで語られるように、もはや「普通」である自認が崩れつつありますが、韓国では「普通」に進学し、「普通」に就職することにどんなに努力が必要か、その厳しさを意識させられます。主人公が「当たり前」の幸福にこだわりながらも、葛藤の末にそのトンネルを抜けていくあたりが思春期物語としての醍醐味です。それでも普通であることが幸福だと考えることはありがちでしょう。韓国YAの韓国ならではの堅固な良識とのぶつかり合いを、真面目で素直でナイーブな、それでいて鈍感な主人公が悩みながら経験していく味のある青春小説です。読者がとっくに気づいていることを、主人公だけ気づいていない面映さなど、そのもどかしいキャラクターの面白さもあります。登場人物が少ないながら、彼らがじっくりと対話していくあたりも読みどころです。ごく等身大の「普通」の高校生を見守っていく読書は、その無垢でストレートな青春に、なんだかいいなと思えるはずです。

細身で長身。勉強もほどほど。スポーツや音楽などとくに打ち込んでいるものはなく、放課後は塾かアルバイト。そんなごく普通の十七歳の高校生男子ノウルの、普通ではないところをあげるとすれば、お母さんが若すぎることです。十六歳でノウルを産んだお母さんは、今、三十三歳。小柄で若く美しいその外見は二十代にしか見えず、歳の離れた姉弟のようにしか思われません。ノウルに父親の存在を明かさないまま、シングルマザーで彼を育ててきた母親のチェ・ジヘさん。アクセサリーの製作と通販を生業としてノウルを育て、六年前からは郊外の町の雑居ビルでアクセサリー教室も開いています。同じビルには中華料理店があり、少ないメニューの中でもジャージャー・チャンポンが人気で賑わっていました。この店の娘でノウルと同い年のソンハは、幼馴染として、なんでも言い合える友だちであり、家族ぐるみで親しい関係にありました。ノウルも店を手伝うようになり、今ではアルバイトとして働いています。さて、ノウルは、苦労をして自分を育ててくれた母親が、普通の男性と付き合って結婚してくれることを望んでいます。それが母親が幸せになれることなのだと信じています。ところが、そこに現れた母親に好意を持つ男性は、ソンハの兄でノウルの母親より六歳も歳下のソンピンでした。兵役を終えて、やや年齢を重ねてから大学を卒業したソンピンは、難関試験にパスして大手企業の正社員としての職を得たといいます。ソンハの心優しい兄でもあり、人柄としては申し分ない。ただ、まだ新社員であり、六歳も歳下のソンピンが母親とつきあうことは、ノウルの中では、「普通」の範疇にはないのです。人の幸福と、普通であることは関係ないのだとノウルが気づくには時間がかかります。自分の良識と衝突しながら、少年は自分の考えを深めていきます。

幼なじみのソンハとノウルは、異性でありながらも、まったく気の置けない友人関係を築いています。生理や便通の話をあけすけにするソンハに、ノウルは呆れつつも、他の友人にはない親密さを感じています。そもそもノウルは男子にもさほど友だちがいるタイプでもないのです。そんなノウルが高校ではじめて友だちになった少年がドンウです。色白でひ弱なドンウがいじめられているところをかばったことで親しくなリました。自分のことは話さず、ノウルのことを質問ばかりするドンウ。彼がいつもどこか空虚な表情を浮かべていることも気になります。読者は次第に気づきはじめるところですが、ドンウには胸に秘めていることがあります。それは、ノウルが考える「普通」の範疇を越えたことです。ノウルが鈍感であることは確かなのですが、普通であることと幸福を結びつけてしまいがちな彼の意識の壁が邪魔をしているのです。ノウルが下働きのアルバイトをしているソンハの父が営む中華料理店もまた、少し「普通」ではないところあります。中華料理店は出前で稼ぐのが当たり前なのに、ソンハの父は同じビルの住人以外には出前をしません。かつて数多くの出前のアルバイトを雇って、もっと大きな店を繁盛させていたのに、今はごく小規模な店だけで商売をすることにしたことには理由があります。そこにはやはり痛みを伴う過去の経験があるのです。商売をより大きくしようとする「普通」を止めたソンハの父親の心の裡をノウルは知り、また考えを深めていきます。十六歳で自分を産んだ母親にシングルマザーとして育てられたことは、韓国でも普通の範疇にはないことです。普通ではない、自分たち家族も幸福だったのではないかと立ち返るノウルが、より広い視野を獲得していく姿が清々しい物語です。韓国の食べもの事情もよく分かり興味深いところです。やっぱり辛いものが好きなのが韓国の人の「普通」なんだろうなと認識をあらたにしました。