レベッカの見上げた空

THE SKY OVER REBECCA.

出 版 社: 静山社

著     者: マシュー・フォックス

翻 訳 者: 堀川志野舞

発 行 年: 2024年02月

レベッカの見上げた空 紹介と感想>

児童文学系タイムトラベル物語の常套として、過去の時間を生きている子どもと親しくなり、心を通じ合わせるというパターンがあります。代表的なところでは『トムは真夜中の庭で』や『思い出のマーニー』などが思い出されますが、内外を問わず、かなりの数の作品があがるのではないかと思います。国内作品だと主人公が知り合った子どもの名前が、妙に古臭い、というあたりから違和感があり、タイムトラベルの予感を覚えるものです。海外作品だと、自分がそのあたりに疎いこともあって、ピンとこないのですが、本書に登場するレベッカも、昔の映画のタイトルロールにもなっていたぐらいですから、おそらくは、なつかしい名前なのではないのかと思います(AIに質問したところ伝統的な名前であるとの回答でした)。ということで、知識としては理解できるわけですが、直感的にゾワゾワしないのが残念なところです。自分の曾祖母や祖母と同じような名前の子と出逢ったら、まずはタイムトラベラーか、自分が過去に迷い込んでしまったのではないかと疑うでしょう。一方で、名前は昔風であっても、子ども同士の心は通じ合い、その感性が重なり合うというあたりが読みどころです。これは、スマホを使いこなし、ビィーガンでもあるセンシティブな主人公、21世紀前葉の現代的な女の子カーラが第二次世界大戦下に迷い込み、戦禍でナチスに苦しめられている姉弟と出逢う物語です。時代差をこえて、魂は相寄ります。多くのタイムトラベル物語を想起させられながらも、児童文学の進化と洗練を意識させられる物語です。

スウェーデンのストックホルムで母親と二人で暮らす十一歳の少女、カーラ。部屋の窓から見える大きな湖、メラーレン湖にどこか怖れを抱いていました。冬になると夜が長くなり、すべてが凍りついてしまう。カーラの気持ちも沈みがちです。ある夜、望遠鏡で流星を見ようとしていたところ、突然の停電に遭遇します。それはひとつ目の予兆。もうひとつの予兆は、湖で1942年と刻まれた古いコインを拾ったことです。ナチスドイツが鋳造したコイン。そして、ついにカーラは、凍った湖の上にいる少女を見つけることになります。湖にある暗い森。そこで二人は出逢います。当初は互いの姿がはっきりと見えなかったものの、声が聞こえ、触れ合えるようにもなれます。レベッカと名乗るその少女は、なにか困難な問題を抱えていることをカーラは察します。ひどくお腹を空かせている。レベッカを助けたいとカーラは思います。食べ物を持って、レベッカのもとを訪ねるうちに、カーラはここが1944年の大戦下であり、ユダヤ人であるレベッカと彼女の足の不自由な弟は、ナチス兵を逃れてこの湖の森で野営していることを知ります。唯一の希望は、この湖近くにイギリスの飛行機が着陸するというレベッカの予見です。姉弟はそこで助けを求めることができるのか。カーラはどうにか二人をサポートしたいと考えます。現代の時間の中でも、カーラは近所のいじめっ子の少年、ラーズとトラブルを抱えています。病気の祖父の心配や、自分自身の孤独癖など、心に憂鬱を抱えた少女が、はじめて心を通わせることができた存在であるレベッカのために勇気を奮います。豊かな文章表現で綴られる、美しい情景とカーラの考え深い心象が溶け合った、読むことの心地良さを感じられる作品です。

カーラが、自分が抑うつ状態であることを認識しているあたりも現代的です。自分の心の状態を客観的に把握している。時折、落ち込んでしまうのは、旧来の引っ込み思案の主人公のように、自信がなく、劣等感があり、自分を卑下しているわけではなく、メンタルコンディションのせいだと考えているあたりが興味深いところです。だから自分は孤独なのか。孤独だから、気持ちが沈みがちなのか。周囲とスウィングできない少女は、幽霊を見がちだし、タイムトラベルもしがちということも児童文学の常套です。そんな漂泊の想いが不思議な事件を引き寄せます。そして、彼女が沈んだ自分に打ち克っていくあたりが見どころです。いじめっ子の少年に退くこともなく抗い、命の危機に晒されている姉弟を救おうとします。このカーラの意思に、世界大戦下において、中立の立場をとったスウェーデンが重ねられているあたりも面白いところです。正義のために闘える力があるのなら、闘うべきである。バイキングの末裔である誇りが、少女を勇気づける。中立や中庸を守ることは難しく、それもまた勇気ある決断だということの方が落としどころになりがちなのですが、ここで一歩進んだ行動を促すあたりが、現代の世界的な危機感を表しているような気がします。黙っていては平和は守れないのです。そうした意味も含めて、このタイムトラベル物語は、旧来のスタイルを踏襲しつつも、タイムトラベラーとしての責任と自覚をもって、成すべきことを成そうとする意思に、心を動かされるのです。