水を縫う

出 版 社: 集英社

著     者: 寺地はるな

発 行 年: 2020年05月

水を縫う  紹介と感想>

この本の帯には『世の中の〈普通〉を踏み越えていく6人の家族の物語』というキャッチコピーが寄せられています。最初の章と最終章の語り手となる高校一年生の男子、清澄からの関係性から見て、同居している家族は姉と母親と祖母との4人なので、あと二人は誰のことなのかと考えていました。本の背面の帯には続きがあって、ここには離婚して一緒に住んでいない父親と、また父親の友人の男性であり、父親と暮らしている黒田さんが、この6人に入るということがわかります。おそらくこのコピーは「6人の、家族の物語」と読点を打って読むべきなんだろうけれど、黒田さんを6人目の家族として考えるとちょっと味わいがある解釈ができるかと思いました。黒田さんと、清澄の父親の全は恋人同士というわけではないのですが、黒田さんは雇用主である上に、社会性のない全の庇護者であり、友人以上のパートナーとしての関係性があります。そのまなざしは、全の息子である清澄にも注がれています。全に代わって、毎月、養育費を現金で届け続ける黒田さんは、清澄の写真を撮り、運動会まで見学に行く擬似父親の役割を果たしています。四十代半ばの独身者であり、家族のいない黒田さんという人物像が見た清澄たち家族の物語が、黒田さん自身を逆照射して面白いところあり、血縁をこえた繋がりについても考えさせられます。この物語では、ごく普通の人たちが、大きな社会的成功を望むわけでもなく、慎ましく生きようと努力していますが、どこか「譲れない一線」があります。その線の微妙な違いが、家族間の衝突をも引き起こしていきます。そこには現代のジェンダー感覚が大きく影響しており、各世代の登場人物たちそれぞれが「捉われているもの」を明らかにします。これが特別な感覚ではなく、現代のごく「普通」を切りとったものであり、その視線の先に家族というものを捉えた、実にコピー通りの一冊だったなと感慨深く思います。

高校に進学した清澄が、クラスの最初の自己紹介で発した「縫いものが好きなので手芸部に入るかもしれません」という言葉は、少なからず教室に波紋をよびます。いえ、それは清澄の思い過ごしであったのかも知れません。幼い頃から祖母に縫いものを教わり、刺繍をしている時が一番落ち着くようになった少年は、中学生の時にはソーイングセットを持ち歩くようになっていました。男なのに手芸が好きだし、調理も得意ということが、同級生たちを刺激して、同性愛者ではないのかと揶揄されることもありました。そんなこともあって、今まで友だちもいなかった清澄は、高校に入ってどんなスタンスでいようとしたのか。あえて手芸が好きだと口にしたのは、その覚悟の表明です。無論、高校生ともなれば、露骨にからかわれることはないものの、「普通」との距離は生まれてしまいます。とはいえ、その距離を乗り越えて、清澄と友だちとなる子が現れるという幸運が、清澄の世界観を少し変えていきます。一方で清澄の手芸好きを懸念しているのは、母親である、さつ子です。「やめとき」が口ぐせで、子どもがまっとうでいられることが大切だと考える母親は、清澄が普通の男の子らしい趣味を持たないことに不服があります。それはデザイナーになる夢に敗れた、離婚した社会性のない夫に姿を重ねてしまうからかもしれません。さつ子が考える正しさを押し付けられることに清澄も少し苛立ちを覚えるようになっています。そんな折、結婚式を挙げる姉が、自分の気に入ったものがないので、ウエディングドレスを着たくないという言葉を受け、清澄は自分がドレスを縫うと宣言します。可愛らしい格好をしたくないという姉の複雑な気持ちと向き合いながら、ドレスを仕立てようとする清澄。家族それぞれが抱えている意識の障壁が交錯しあいながら、結婚式に向けて進んでいく物語の時間軸は、現代のごく普通の人たちの良識からの抑圧を詳らかにします。そこに、家族の情愛がクロスすることで越えていけるものがある。それは家族の絆をことさら意識させるものではない、穏やかな繋がりです。特別ではない普通の家族が魅せる、特別な物語がここに描かれます。

清澄は姉を可愛らしく引き立てるためのドレス作りに試行錯誤します。しかし、姉の注文は細かく、清澄は何度もやり直しせざるを得ません。袖がないものも、ヒラヒラしたものも、身体の線が出るものもイヤ。その希望をすべて通せば、給食着のようになってしまう。かわいいからイヤだという姉の気持ちを清澄は図りかねます。姉の水青の語りによる第二章で、子ども時のトラウマから、自分がかわいい格好をすることを避けてきた経緯が明らかになります。それは水青のライフスタイルにも影響を及ぼしています。職場で働く姉の姿を見て、清澄は姉の意思を感じとります。ただ自分が作りたいドレスを作りたかっただけだったことを思い知った清澄は、服飾の仕事をしている父の力を借りて、姉の希望に叶うドレスを作ろうとします。プロの手腕に自分の力不足を思い知った清澄が、それでもドレスの刺繍に思いを込めていきます。清澄だけに注目すると、YA的な気づきと成長の爽やかな物語なのですが、姉や母親や祖母それぞれの葛藤が語られていく展開がこの物語を輻輳的に織り上げます。多くを望まず、静かに人生を送っている人たちにもまた、後悔や切望があります。ジェンダーバイアスによって、少なからず苦いものを飲み込まされてきた人生や、それによって形成されたライフスタイルへの矜持があるものです。果たして、人はそうした意識に支配されているものなのか。僕自身は「女だから」なんて考え方はしないと思っていました。一方で、多少、金銭感覚がおかしい清澄の父親を、この程度ならば、と許せてしまうところがありました。これは、こういう男の人もいるからと、容認しているところがないかと自問自答させられました。意識しないと、フラットに考えることができないですね。そういえば、自分自身に対しても、男なんだからしっかりしないと、という気持ちはどこか刷り込まれているかもしれません。それをまたそう悪いことでもない、と思いながら自分を叱咤しているあたり、根は深いですね。