ロジーナのあした

孤児列車に乗って
Rodzina.

出 版 社: 徳間書店

著     者: カレン・クシュマン

翻 訳 者: 野沢佳織

発 行 年: 2009年04月


ロジーナのあした  紹介と感想 >
主人公の気持ちに寄り添って、最後まで一緒に旅を続けることができる物語です。まだ、三十ちょっとしか州がなかった1881年のアメリカ。イリノイ州のシカゴから大陸を横断する列車に乗せられて、西部のカリフォルニア州まで行こうとしているのは、身寄りのない沢山の孤児たちです。彼らは、西部に向かう途中の駅で降ろされて、孤児を引き取ろうという養い親希望者たちと面会します。運良く気に入ってもらった子どもはその家の子になりますが、そうでなければ、また次の駅まで列車に揺られて旅を続けるのです。まだ満足に孤児院もなかった時代。都会に住む孤児たちが浮浪化せずに、できるかぎり幸せに暮らせるようにとアメリカ西部の子どもを必要としている家族に引きあわせる人道的な試み。この「孤児列車」という制度は現実にあったもので、世界恐慌の頃まで続いていたものだそうです。物語は「孤児列車」に乗ることになった十二歳の少女ロジーナの目を通して語られます。孤独と不安に震える彼女の気持ちや、この優しいだけではない世界の中で、それでも彼女が希望を見つけ出していく姿にエールを送りながら、一緒に「孤児列車」で旅をすることのできる秀逸な作品です。

「孤児列車」に乗せられた孤児たちは西部で奴隷として売られてしまう。ロジーナはそう信じていました。ロジーナの両親はポーランドから自由を求めて、移民としてこの新しい国にやってきた人たちです。詩人であった父親も豚の解体をする仕事をしながら家族を支え、なんとか、この国に自分たちの根をはろうとしていました。しかし、貧しいながらも幸せだったロジーナの家族には、次々と不幸が襲いかかります。事故や病気で家族を失い、ひとりぼっちの孤児になってしまったロジーナ。浮浪児生活をしていたところを保護された彼女は、多くの孤児たちと一緒に「孤児列車」に乗せられて西部への旅に出されました。孤児としては年長で、身体も大きい彼女は、小さな孤児たちの面倒を見るように命じられます。自分のことに精一杯で、わがまま放題な小さな子どもたちを優しく見守ることができないロジーナでしたが、長い旅を続けているうちに、だんだんと小さな孤児たちに愛着を持つようになっていきます。途中の駅で降ろされて、まるで品物みたいに値踏みされ、養い親たちの面会を受ける孤児たち。孤児たちはあたたかい家庭に迎えてもらえることを望んでいても、養い親たちは、奴隷とは思っていないまでも、子どもに労働力を求めているのは事実なのです。一人一人、養い親にもらわれ、減っていく孤児たち。ロジーナもまた、何度かもらわれるチャンスがありましたが、どうも人生のピンチになってしまいそうなケースばかり。気転を効かせて、危険を回避することはできたものの、それでも「孤児列車」での旅が続くだけなのです。さて、ロジーナは、旅の終わりのカリフォルニアに着く前に自分を迎えてくれる幸せな家族を見つけることができるのでしょうか。ロジーナと一緒に、不安と期待に満ちた旅に出る、そんな読書がここにあります。

19世紀後半のアメリカの大人の女性たちの姿がこの物語からは垣間見れます。ロジーナたち孤児を引率する女性は医者で、子どもたちに自分のことを「ドクター」と呼ばせています。冷たく、つき放したように子どもたちと接する彼女もまた心の事情を抱えています。ロジーナも当初、彼女の態度に好意を持てないのですが、旅を続ける中で、だんだんとその胸中を察していきます。まだ女性が職業婦人として生きていくのは難しい時代です。新聞には田舎の農村や炭鉱の男性からの「花嫁募集」の広告が載っている(マクラクランの『のっぽのサラ』みたいですが、かつては良くあったことなのですね)。生活の窮状にいる若い女性たちは、こうした広告を頼りに見知らぬ夫に嫁いでいくのです。そんな旅の途中の女性とロジーナは列車で出会い話をします。十二歳の少女に待ち受けている大人の世界はどうにも多難で、ロジーナは自分がどう生きていったらいいのかわかりません。どうしたら希望を持っていられるのか。立派になって成功した孤児なんているのだろうか。思い悩みながら、それでも活路を自分で見つけていくロジーナの姿には好感が持てます。どんな辛い目にあっても家族に愛されていた記憶が、ずっと彼女を支えていきます。ひとりきりでも心の孤児ではない、ロジーナの強さがここにあるのですね。当時の風俗や時代背景を細かく描写しながら、十二歳の少女がどのように思い悩み、考えたかを、生き生きと感じ取らせてくれる作品です。

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