両手にトカレフ

出 版 社: ポプラ社

著     者: ブレイディみかこ

発 行 年: 2022年06月

両手にトカレフ 紹介と感想>

明治大正期を生きた実在する日本人女性、金子文子によって遺された手記を、現代の英国に住む十四歳の少女ミアが読むことでこの物語は進んでいきます。自分の不幸な生い立ちや辛い少女時代を回想する女性、金子文子(フミコ)の手記は一冊の本となり、英国で困窮した生活を送っているミアの手に取られることになります。その本を読み、百年前の世界に暮らしていた異国の少女へのシンパシーをミアが募らせたのは、彼女と自分の境遇に重なるところがあったからです。父親はおらず、母親と弟と公営団地で貧しい暮らしを送っているミア。生活保護で支給されたお金をドラッグに使ってしまう母親のせいで、子どもたちには満足な食事も与えられません。シャワーも浴びることができず、自分の臭いを気にする少女は、自分はホームレスの人たちと同じなのだと、図書館の閲覧室に入ることさえためらいます。そんなミアが図書館で手にとることになった一冊の本は、ある日本人女性の回顧録でした。一世紀も前の遠い国に生きていた少女フミコが、本という橋を渡って、自分の隣で話を聞かせてくれる。そんな実感を得て、ミアはフミコの存在に励まされます。ミアとフミコの物語は混ざりあい、その心情はシンクロしていきます。ドラッグやアルコールの依存症の母親と小さな弟の面倒を見ながら、お金がないことで惨めな思いに苛まれるミア。同じ学校に通う普通の子たちに距離を感じてしまう彼女は、この社会の不合理に自ずと気持ちを尖らせていきます。その思いが、鋭い言葉を連ねたラップとなってミアから放たれる時、世界は少しずつ変化していくのです。

現在(2023年)、子どもながら家族をケアしなければならないヤングケアラー問題が取り沙汰され、注目を浴びています。子どもの貧困もまた近年の子どもをめぐる問題の中でスポットを浴び、児童文学作品にも多く登場します。シングルの親が精神疾患や依存症で働くことができない家庭で、幼い弟妹の面倒を見ながら、それでも、苦しい自分の現状を誰にも知られないように、密かに暮らしている子どもの窮状。その突破口はそれぞれの物語で描かれますが、児童文学は問題解決のためのケーススタディではなく、苦境の中にあっても主人公が懸命に生き抜こうとする一途な姿にこそ妙味があります。本書もまた苦境にいる少女が、図書館で借りた本の中にいる、不幸な境遇の少女に自分を重ねることで慰められ、励まされていきます。百年前の外国の出来事ながらも、フミコを取り巻く状況は、ミアの住む貧しい公営団地ではよく見かける不幸な家族の寸景でもあるのです。ミアの母親も男を家に引きこんではすぐに別れてばかり。福祉団体から施される食事で、なんとか飢えをしのぐものの、普通の学校生活を送ることさえ困難を伴います。スマホを自由に使えないことは、現代の14歳にとっては致命的で、他の子たちの手前、惨めな思いを抱くことも多いのです。ミアはそんな自分の内なる怒りを言葉にしていきます。自分の家庭や地域、この社会への怒り。詩であり物語でもあるリリックを学校のプリントの裏に書き綴る。そんな彼女の言葉に、ラップのトラック(リズムパートの音源)を作っているウィルは衝撃を受け、一緒にステージに立つことを持ちかけます。裕福な家庭の子であるウィルは、ミアの歌詞に本物(リアル)を感じとり、自分たちが今までやってきたものが見せかけだけのラップだと痛感します。その微妙なリスペクトもミアに複雑な感情を抱かせるものではあるのですが(素直に喜べる褒められ方じゃないですよね)、ミアが本の中のフミコとともに歩みながら、この重い現実を乗り越えて、自分の道を切り拓こうとする姿には熱くさせられます。両手に銃を持ち、闘うヒロインとして、言葉の弾丸でミアは人の心を撃ち抜いていくのです。

ミアが出会った金子文子(フミコ)とは誰か。寡聞にして自分は知らなかったのですが、大正時代の実在するアナキストであり、彼女が政治犯として刑務所に収監された際に、この物語のフミコの手記パートの元となった『何が私をこうさせたか』が書かれたそうです。原書と読み比べるのもまた興味深いかと思います。大逆事件や関東大震災後の社会運動家の一連の弾圧の中で、金子文子もまた逮捕され、収監されたまま獄中死しています。彼女の手記の不幸な子ども時代の回想は、社会運動家としての信条を語るものというよりも、家族とのつながりを失い、親族の家で虐待され、自分の誇りを奪われて、自ら死を決意するほど追い詰められた等身大の一少女のものです。それでも彼女がこの世界の美しさに目覚め、生き抜こうとする姿は、ミアに大きな力を与えていきます。女の子が読んでいる本の主人公を心の友とする、というお話は良くあります。しかし、本書は本を読むことを通じて、ここではない広い世界に出会っていく希望が描かれます。本が別の世界の入り口であるというモチーフがこの物語に通底し、フミコの言葉によって、ミアの世界は広がっていきます。自分を取り巻くこの世界は自らの力で変えられるのだと、ミアが思いを巡らせるようになるまで。固唾を呑み、掌を握り締めながら、ミアとフミコの物語から目を離せないままラストまで駆け抜けられる熱い一冊です。