出 版 社: 新潮社 著 者: 赤染晶子 発 行 年: 2010年07月 |
< 乙女の密告 紹介と感想>
乙女が乙女であるという自己認識と矜持を持つこと。これには乙女に少女とあてることもできます。このスピリットは、歴史上、さまざまなところで見受けられるのですが、明治末から昭和初頭にかけての少女雑誌を中心にした少女趣味文化がひとつの精華かと思います。そういえば『乙女の港』や『乙女手帖』などの当時の少女小説の代表作にも乙女が冠されていたわけです。読者である少女自身が少女であることに矜持を持つ。そこに社会的弱者であった彼女たちのこの世界への抵抗を見ることもできます。一方で少女的ではないものへの嫌悪や憤怒も、やや先鋭化していく感がありました。その感傷と美意識。純粋で高潔であるがゆえに、恐れ知らずの傲岸の棘を孕んでいるということが、少女たちの危ういバランスでもあるのです。児童文学では高楼方子さんの『緑の模様画』がこのエッセンスを大いに魅せてくれます。そこでは主人公たち少女の愛読書である『小公女』が象徴的に語られていきます。さて本書は一般文芸書であり、芥川賞も受賞した作品ですが、ここで「乙女」たちに信奉されているのは『アンネの日記』です。主人公も大学二年生であり、少女というには微妙な年頃なのですが、何年も留年を重ねているという上級生の先輩乙女たちも含めて「乙女であろうとしていること」が重要です。つまりスピリットとしての乙女には年齢は関係ないのです。エキセントリックで際立った作品であり、乙女と、もうひとつのキーワードである、密告について、考察を促される蠱惑的な物語です。
京都の外語大学で学ぶ女子学生たち。ドイツ語を教えるバッハマン教授は、スピーチゼミを主宰し、彼が格別な思い入れを持っている『アンネの日記』を教材にしていました。ここに集う女子学生もまた『アンネの日記』を信奉する乙女たちです。ロマンチックな悲劇のヒロインとしてのアンネに少女の頃から憧れていた、二年生の、みか子もそうした一人です。エキセントリックなバッハマン先生の厳しい指導によって、ひたすら『アンネの日記』の暗唱スピーチに挑み続ける彼女たちには、ふたつの派閥があります。「すみれ組」と「黒ばら組」。バッハマン先生によって、とくに意味もなく分けられたグループ。とはいえ、乙女たちにはそんな謎ルールにも乙女として追随して、敵対関係になったりするのです。すみれ組であるのに、みか子は密かに、黒ばら組のリーダーである麗子様のコアなファンになっていました。全国のスピーチコンテストを荒らしているという、年齢不詳で、何年も留年している謎の人物、麗子様。みか子は、スピーチコンテストで、失った言葉を拾い上げた麗子様の美しい振る舞いに魅了されたのです。そんな麗子様とバッハマン先生がいかがわしい関係にあるという黒い噂が乙女たちに広がります。麗子に憧れる、みか子は真相を確かめようと、バッハマン先生の研究室を訪ね二人で話をしていたところを、他の乙女に気づかれてしまいます。今度は自分が「アンネのように」密告されてしまうことに、みか子は恐怖を覚えます。清廉潔白な乙女である自分に降りかかるだろう噂。そんな折、バッハマン先生が心底、大切にしている西洋の少女人形、アンゲリカが誘拐されます。この事件にも、みか子は、密告される暗示を受けます。麗子様に身の潔白を証明しようとした、みか子は、彼女の謎の行動により、よりややこしい状況に追い込まれていきます。さらに麗子様の挙動は乙女たちを翻弄し、みか子はさらに噂の渦中に巻き込まれます。自分が乙女であることを守り抜くため、スピーチコンテストの出場を決意した、みか子は、アンネと自分を重ねながら、ついには自分の正体を密告する密告者となるのです。
良い意味でトンチキであり、どうかしている感に溢れた頓狂で魅惑的な物語です。乙女であることは、漢(おとこ)であることにこだわる少年漫画のキャラクターのような戯画化された面白さがありますが、もう少し、やっかいな存在なのです。いつも西洋少女人形を連れ歩き話しかけている怪人物であるバッハマン先生の薫陶を受けながら、乙女たちは、この聖域である秘密の花園に棲息しています。「乙女らしからぬ」噂ほど、乙女にとって恐ろしいものはなく、また、そうした噂にこそ乙女は魅了されるというアンビバレント。乙女であるとは何なのか。このアイデンティティの問題と、本来は重ならないだろうアンネ・フランクの自意識が交差し、「密告」によって解体されるものが明らかになっていきます。アンネ・フランクの物語をどう読むかと言えば、アウシュビッツの惨劇を踏まえて、戦争への怒りと、また究極の状況下においての人間の尊厳について考えながら、ではあるのですが、「アンネ」という乙女の日記として、読み物として面白いというのが否定できないところです。それこそ、みか子のようにロマンチックな悲劇のヒロインを想うところが少なからずある。アンネもまた傲岸の棘を孕んでいる少女であり、その性格や物想いは実に等身大で印象深く、聖人的ではないあたりも、その悲痛な運命により感じ入ってしまうところです。実際、その奔放な少女らしさ(自分も随分と前に読んだので忘れておりますが)や、自分の美しさへの自負など、面白い、というには語弊があり、楽しんで読んではいけない感もあるゆえの背徳の読書感想を弄ぶことになるのが『アンネの日記』かと。本書のバッハマン先生による解説や、みか子が思い至る解釈が、また、アンネを考えさせられる不可思議な物語です。