完全版・本朝奇談 天狗童子

出 版 社: あかね書房

著     者: 佐藤さとる

発 行 年: 2009年02月

完全版・本朝奇談 天狗童子  紹介と感想>

妖狐と並んでジャパニーズファンタジーに数多く登場する霊力や神通力を持った存在といえば天狗です。妖怪なのか、神さまなのか、そのイメージといえば、山伏めいた格好をして、高下駄を履き、羽根を帯びて、なんといっても、あの長く伸びた立派な鼻が特徴的です。とはいえ、これも漠然としたイメージで、天狗の実態やその生活と意見については深く知るところではないものでした。本書は、天狗社会の構造や修業システムや階級などにとても詳しいのですが、それもまた共通幻想による伝承なのか、作者の創作なのか。天狗ロマンは確実にあり、近年でも(この文章は2020年に書いています)、江戸時代の国学者、平田篤胤が遺した、天狗にさらわれた子どものインタビュー『仙境異文』の復刊が話題になったことは記憶に新しいところです。不思議なことはおおよそ「天狗の仕業」で説明がつくように、摩訶不思議なことを現実と融合させる力があるのが天狗の存在感です。児童文学作品では頻繁に天狗モノが登場しますが、本書は、室町時代を舞台とした実際の日本の歴史の中で、天狗に育てられた少年が活躍する胸踊るファンタジーとなっています。2007年に赤い鳥文学賞を受賞した『本朝奇譚 天狗童子』に加筆された完全版。刊行当時に『本朝奇譚 天狗童子』の方を読んで以来でしたが、やはり面白い作品で、天狗ロマンに浸れる一冊です。生まれながらの天狗もいれば、人から修行して天狗になったりもする、なんてエントリーシステムもまた面白いところでした。

否含山の番人を務める老人、与平は横笛の名人でした。ある日の夕暮れすぎに、不意に思うところがあり笛を吹き鳴らしたところ、これまでにない満足の行く自分の演奏が出来、その余韻に浸っていると、一羽のカラス、とも見間違える子どものカラス天狗が現れます。最高位の天狗である大天狗様の側近だというカラス天狗は先触れとして与平の元にやってきたというのです。やがて大天狗の来訪を受けた与平は、その笛を見込まれ、天狗の仲間にならないかと誘われます。流石に天狗になることは憚られた与平が断ると、今度は、このお供のカラス天狗に笛を仕込んで欲しいと頼まれます。大天狗はカラス天狗から、カラス蓑を引き剥がすと、人間の少年の姿へと転じます。この少年の名が九郎丸。与平は九郎丸と一緒に二人で山で暮らし、笛の稽古をつけるようになります。九郎丸は自分は生まれながらのカラス天狗だと言いますが、与平は次第に、九郎丸が本当は人間の子どもで、天狗にされてしまったのではないかと疑いはじめます。一年あまりがたち笛も吹けるようになった九郎丸のことを、九郎丸の意思に反して、与平は天狗に戻したくないと強く思うようになります。天狗の宝であるカラス蓑を焼いてしまえば、もう元の天狗には戻れない。そのことで大天狗の怒りに触れ、殺されても良いと与平は考えはじまめます。ついに、与平はカラス蓑を焼くことを決行してしまいますが、不思議な力が宿ったカラス蓑を完全に焼くことができず、中途半端な形で焼け残った羽根が残されます。与平に怒った九郎丸も天狗に戻ることはできず、羽根の生えた少年の姿で大天狗の元に帰参することになります。さて、この九郎丸、与平が感じた通り元々は人間であり、しかも高貴な血を継ぐ一族の嫡子だったのです。大天狗もまた、九郎丸の将来を考えて、半分焼けたカラス蓑を九郎丸に与え、生き別れた父親との親子の名乗りを上げることを望みます。こうして、与平は九郎丸を大天狗から託されることになります。立派な天狗になろうと天狗道を歩んでいた人間の少年は、想いもかけない岐路に立つことになるのです。

天狗と人間のどこかとぼけたやり取りが楽しい作品ですが、人間の世界は殺伐とした緊迫下にありました。室町時代の末期、地方の有力者たちが覇権を競い合う下剋上の世の中も近づいている頃。相模の国、五百年続いた関東武士の名門、三浦家のお家騒動で、まだ赤ん坊だった嫡流の跡取りである九郎丸は命を狙われて、逃げ延びる途中で行方不明になりました。その九郎丸は天狗に拾われて、育てられていたのです。大天狗様は武士同士の闘いが激しくなる中、九郎丸を父親に会わせてやって欲しいと与平に頼みます。おそらくは、三浦家の命脈もそう長くは保てない。滅びの時を迎える前に、父と子が対面できるよう、天狗が計らうのもまた、感じ入るところなのです。物語の当初、生意気なカラス天狗出会った九郎丸が、芯のある若者に成長していく姿も頼もしいところ。しかし、天狗の羽根を纏って空を飛ぶことができる、半天狗である九郎丸が戦で大活躍するようなヒーローの物語ではありません。完全版の長い後日談の中で、その後、青年となっていく九郎丸の姿が描かれていきますが、どこか穏やかで落ち着いた暮らしぶりが偲ばれます。九郎丸がカラス天狗の頃の弟分であった茶阿弥は、実は女の子で、やはり高貴な血を引いています。彼女もまた戦乱に揺れる人間の世界に戻り、艱難を経ていきます。再び、二人が巡り遭い、変わらずの天狗感覚で付き合い続けていくのも楽しいところ。天狗の世界はそれなりに厳しい修業もあり、栄達するには功徳を積まなくてはならないようです。ただ戦に明け暮れる人間の理不尽さとは違う、どこか理想の世界であるようにも思えます。半分天狗になったことで、九郎丸が自由に羽根を伸ばし、この時代を茶阿弥と生きていく姿が、なんかいいなあ、という読後感です。実に不思議な物語です。