人魚に嘘はつけない

出 版 社: 一迅社

著     者: 半田畔

発 行 年: 2017年07月

人魚に嘘はつけない  紹介と感想>

もう随分と前に読んだ物語ですが、主人公たちが迷い込んだ異世界では、誰も嘘をつくことができず(嘘をつくという能力がなく)、虚言が凄い能力になる、という、そこだけ見ると今の異世界転生モノを想起させるSF作品がありました。誰も嘘をつかない世界は理想郷かと思いきや、為政者は住民が嘘をつけないことでシビリアンコントロールが容易になっているデストピアでもあるのです。嘘には功罪があります。人を騙すのは、基本、良いことではありません。とはいえ、嘘が潤滑油になって、上手く回っている関係性もあるかとは思います。それもこれも、嘘だとバレていないからです。本書には、嘘をすぐに見抜いてしまう力を持った人物が登場します。人物、ではなく、人魚です。この人魚には嘘がすぐにバレてしまうのです。これが「思春期の嘘」であるところがポイントです。口を出る言葉が、自分の本心なのかどうか、本人にさえわからないのですから。強がったり、悪ぶったり、平気を装ったり、期待していないふりをしたり、心とは裏腹な言葉を口にしてしまう。それを嘘だと指摘されてようやく自分の本心を知るのです。嘘の効用は相手をだませることにあるかと思いきや、バレバレの嘘が、本心を垣間見せることもあります。素直になれない年頃にとって、嘘は自分の心を守る防波堤ですが、反作用することもあります。どんな嘘も見抜く人魚には嘘はつけない。圧倒的な人魚の優位。それでも虚勢をはるのが思春期です。嘘がバレた方が上手くいくこともあるというそんな逆説もあるし、嘘もまた必要悪だったりする。嘘がない世界が本当に素晴らしいかどうかは、考えものですね。

海辺の町に暮らす高校三年生の男子、朝月(あさつき)は、磯くさいこの町での暮らしも、父親の仕事である漁師にも嫌気がさしていました。自分の進路や将来を決めなければならない局面で、足ぶみをしているのは、これといった夢がないことも原因かも知れません。何がやりたいわけではないではないけれど、とりあえず漁師だけはお断り。そこにある本心は、自分でもよくわかりません。そんな朝月を鷹揚に見守っていてくれた父親が海難事故に遭います。目撃した人によると、海中の子どもを助けようとして飛び込み、流されたのだというのです。遺体すら見つからない状況の中で、漁師仕事を見せたい父親に素気無くしたことを後悔しながら浜辺を歩く朝月は、生き倒れている少女を発見します。海から流されてきたのか。驚くべきことに、その少女の下半身はひとつにつながりヒレ状になった魚のような、つまりは人魚だったのです。もしかしたら、この人魚を助けようとして、父親は遭難したのかもしれない。朝月は人魚を家に連れて帰ることにします。さて、このユーユと名乗る少女の姿をした人魚は、人語を達者に話すことができ、自分の意志で身体を自在に変化させ、ヒレを人間の脚にすることもできます。好奇心でうっかり海上に上がってきてしまったけれど、海の底に潜るための体力がない、という彼女を、朝月は仕方がなく家に置くことにします。この人魚のキャラクターがなかなか手強いのです。奔放な少女であり、朝月を見透かしたような生意気な口をきくのは、人間の嘘を見抜くことができるからです。朝月と丁々発止のユーモラスなやりとりをしながら、体力を蓄えるため人間界に滞在する人魚は、このちょっと複雑な心持ちの少年や、その友人たちと交流していきます。思春期の少年少女が心に抱える思いは、自分たちでも自覚していない本音とウソを交えながら言葉にされていきます。人魚との交流の中で、彼らは、自分たちの将来に向かって成長していくのです。

父親の遭難事故という事件がありながらも、重い展開にはならず、それを朝月が胸に秘めながら、人魚と軽口を叩き合うあたり、物語は明るく彩られています。「地上に降りてきた」あけすけな人魚は、正体を一切、隠そうとせず、言いたい放題だし、気に入らないことがあれば、どこからかクラゲを作り出し、投げつけてきます。そして、それぞれが悩み多き思春期的葛藤を抱えている少年少女たちの嘘を見抜くことで、心の真実に近づけていくあたり、小憎らしい働きをするのです。朝月の幼なじみの同じく高校三年生の女子、潮音(シオ)は、陸上部のエースであったのに、今はかつてのように純粋に走ることができなくなっていることを隠しています。このまま将来も陸上を続ける覚悟が自分にあるのか悩んでいます。朝月と潮音の共通の友人である少年、ウミは、サーフィンが大好きで大会でも活躍していましたが、サーフィンで足を骨折して以来、恐怖心に駆られ、学校に行くことも、サーフィンをすることもできなくなっています。朝月と潮音とウミ。それぞれが胸のうちに秘めているものを知る人魚は、やや無茶な行動もしながら、彼らが先に進めるよう促してくれます。それぞれの本心を明らかにさせるため、人魚は地上にとどまっていたのかもしれません。実際、人魚は嘘を見抜くことなどできなかったのではないか、という仮説も、この物語を面白くします。人魚が嘘だと言っていたことが、後になって心の真実であった件もあります。嘘か誠か。二元論では割り切れないものが、思春期の心には渦巻いているものかもしれず、それを自分の心に問いかけて「卒業までの半年で」答えを出していくのが「青春時代」かも知れないわけです。そんなこんなで地方都市の海のある牧歌的な町の、邪気のない青春群像が心地良く描かれていきます。案の定、朝月は父親の意志を受け継いで、高校卒業後、漁師になりますが、実に、安定の帰結です。痛みを乗り越えて、その先にあるもの。人魚という狂言回しが青春をサポートしていく、幻想と怨念をまといがちな人魚モノとしては異色のストーリーです。それにしても、表紙に、どうにもあのアニメが想起させらるのですが、僕だけでしょうか。