仮面ライダー電王

制   作: 東映

脚   本: 小林靖子

放   映: 2007年1月~2008年1月


仮面ライダー電王  紹介と感想 >

小学生時代の僕の心を震わせていたのは「児童文学」ではなく、特撮ヒーローたち、中でも「仮面ライダー」でした。土曜日の午後七時半。初回放送をリアルタイムで夢中になって見たのは、第二作の「V3」から第四作の「アマゾン」まで。次の「ストロンガー」になると、もう夢見る頃を過ぎていたわけで、このあたりの微妙さが当時の「特撮」というものに対する一般的な態度をでした。いつまでもああしたモノに喜んでいるのはいかがなものか、とシフトチェンジしていくのが、あの頃の男子の当然の成長過程だったのです。ということで、僕はその後、仮面ライダーに夢中になることはなかったのですが、それから30年近くが経過した2007年1月。突如、未来からやってきた精神エネルギー体イマジンによって、人類の未来は破滅の危機に瀕していました(文章に脈略がなさすぎ)。イマジンは2007年の現代人と「契約」することで、その契約者のイメージする「実体」を得ます。そのイメージは「昔話に登場した何か」を元にした怪人の姿となります。イマジンは契約者の「望み」を叶えることで、契約者の記憶に刻まれた、過去の特定の日に飛ぶことができます。そして、その過去を破壊する。過去が変えられてしまうことにより、未来は失われてしまう。イマジンによって消滅した未来からやってきた女性、ハナは「特異点」と呼ばれる、過去が変更されても影響を受けない存在でした。ハナは2007年で、自分と同じ「特異点」である一人の少年を見つけ出します。それが野上良太郎です。良太郎は高校を中退して、姉の愛理が一人で切り盛りしている喫茶店の手伝いをしている、とてつもなく運が悪く、しかも不甲斐無い十八歳の少年です。ハナは戸惑う良太郎に、イマジンから「過去の時間」を守ることを依頼し、「パス」を渡します。それは過去と未来を行き来する、時の列車「デンライナー」への乗車券であり、ベルトにタッチすることで「電王」に「変身」できるカードだったのです。良太郎は電王(プラットフォーム)に「変身」したものの、もともと人間として非力すぎるため、変身しても、かなり弱い。弱すぎる。そんな良太郎の前にイマジンが現れ、「契約」をもちかけます。『お前の望みを言え、どんな望みでも叶えてやろう。お前の支払うべき代償はただひとつ・・・』。良太郎がイメージしたのは「桃太郎に出てくる赤鬼」。そのイマジンは赤鬼をイメージした怪人となり、良太郎にとり憑きます。後にモモタロスと名付けられる、この粗暴なイマジンは、かなりの喧嘩好き。契約はできなかったものの、良太郎と一緒にいれば好きなだけカッコ良く暴れることができると期待してデンライナーに乗り込みます。モモタロスが憑依した時ようやく、良太郎は、電王(ソードフォーム)に変身し、未来からやってくるイマジンたちと戦う力を持つことができるのです。果たして、最高にヘナチョコな少年、良太郎に託された人類の未来はどうなるのでしょうか。

ということで、本日(この文章を書いた2008年1月)、ついに「仮面ライダー電王」の放送が終了しました。物語の完結です。もう涙なくして椎茸は食べられない(まあ、語りつくせないものはありすぎなのですが)。30分番組とはいえ、途中に劇場版も含む、一年間の放送のボリュームは相当なもの。たっぷりと時間をかけて魅力的なストーリーが展開されました。果たして、子どもたちにはどこまで、この複雑な物語が理解できたのかは謎ですが、実に面白かったあ、という感想です。当初、「電車で移動する仮面ライダー」という奇想、時間を超えるというSF的な展開、ライダー史上、最年少にして最弱という設定、など、これまでの仮面ライダーの常識を覆す野心作という噂に興味本位で見始めたものの、すっかり夢中になっていました。一般的にも大人気を博したようで関連商品の売り上げも記録的であったとか。CGを駆使したハデな特撮シーンあり、ユニークなキャラクターたちによるドタバタコメディあり、重いテーマとメッセージがあり、そして登場人物たちの「成長」がありました。各キャラクターの決め台詞も楽しく、ああ仮面ライダーって、こんなに明るくユーモラスになってしまったのかと正直、驚きました(カッコいいけれど陰惨、というのが、かつてのライダーだったので)。直情的で熱く、威勢のいいモモタロスをはじめとして、理知的で口が巧く女性を口説くことが趣味のウラタロス、男気溢れすぎる豪傑キンタロス、やんちゃでコントロール不能なリュウタロス。とり憑いた個性的な四体のイマジンたちが、どうにも情けない良太郎を盛り立て、サポートしていきます。一方で、良太郎の真摯でまっすぐで、意外と気丈な性格に、モモタロスたちも魅かれていくのです。まだ「未来」は確定していません。イマジンたちは、「自分たちの未来」に、この世界を引きよせようと、過去を壊そうとしている。一方、良太郎とモモタロスたちは、それを食い止めようとする。しかし、モモタロスたちもイマジンであって、イマジンが存在しない未来が確定すれば、自分たちも消えてしまう。そうした矛盾をはらみながら、良太郎たちの戦いは続きます。やがて、イマジンたちが、やみくもに過去を壊しているのではなく、時間の中を彷徨う「ある人物」を追っていることを良太郎たちは知ることになります。それは、良太郎の姉、野上愛理の失われた記憶の中にいた人。姉の婚約者だった桜井侑斗は、突然、失踪し、同時に愛理の記憶からも存在を消していました。そして現れる、自分について知っている人たちの「記憶」を消費しながら、それを力に変えて「変身」する、もう一人のライダー、ゼロノス。時の路線に現れた、未来の「分岐点」、その先はどこへつながるのか。電王とゼロノスの活躍によって、未来は、イマジンから取り戻されるのか。コミカルでありながらも悲痛であり、それでいて「希望」の未来につながる現在が、ここにはあったのです。

時間モノSFは、パラドックスをどう解決するかが最大の課題です。この物語では、人間の「記憶」を「時間」と等価であると位置づけているため、この課題が鮮やかに解決されています。どんなに過去が破壊されても「記憶」が残されているかぎり、全てが再生される。一方で「記憶」がなければ、「過去の時間」というものはなくなってしまう。消してしまいたいような「過去」であっても、そうした時間があって、現在がある。望んでいる未来を手にするには、過去ではなく、今を、今から変えるしかない。人間としてのキャリアを積んでくると、過去の記憶に苛まれることが、ままあるかなと思うのです。過去の失敗や失意の時間を、今の自分に都合良く消してしまいたくなる。過去を悔んで、あの時間がなければ、現在はもっと良くなっていたのではないかと思う。でも、どんなに辛い時間、苦しかった時間もまた、現在につながる何かを養ってくれていたはずのです。『過去が希望をくれる』という言葉が、この物語のキーになっています。「願った日々」を信じ続けること。人間には無駄な時間などない。現在をどんなに辛い気持で過ごしていようと、やがてそれは「過去」になり、未来の時間へとつながっていく。どんな痛みを孕んだ記憶であっても、消すわけにはいかない。自分たち自身に「過去」を持っていなかったモモタロスたちイマジンは、この一年間で、良太郎とともに過ごした「記憶」を得ました。その記憶こそが、消えることのない大切な「過去」となる。「今」は、ここから塗り替えられる。良い過去、悪い過去、どんな過去であっても、その過去を見つめて、今を変えていけば良い。そんな強いメッセージに溢れた作品でした。そして、なによりも電王の魅力は、かつての仮面ライダーのように正義と悪との対決に心をたぎらせることではなく、笑ったり、喧嘩したり、さりげない思いやりと、慈しみに溢れた時間を超える電車、デンライナーの、みんなが集まる食堂車に一緒に乗り込むことができたような、そんな時間を僕たちに与えてくれたことなのではないかなと思っています。この一年間の「記憶」は、きっと未来への希望となる。大人の人気が高かった「仮面ライダー電王」ではありますが、この作品を、少年、少女時代に見ることができた子どもたちの心に、「友愛という名の電車」デンライナーの姿が、いつまでも刻み続けられた良いなと思います。どんなに辛いことがあっても、決して希望を失わないように、デンライナーと一緒に過ごした「記憶」が、子どもたちの「未来」を救ってくれるのだと思いたいのです。