出 版 社: 岩波書店 著 者: スーザン・ニールセン 翻 訳 者: 長友恵子 発 行 年: 2022年06月 |
< 住所、不定 紹介と感想>
「住所不定」といえば「無職」と続くのが常套ですが、意外とそうでもないのだと知ったのは、2020年の最初のコロナ禍での非常事態宣言でネットカフェが営業停止となり、ここに定住していた人たちが住む場所を失った時です。二十四時間営業のネットカフェに住んでいる人がいるということも驚きではあったのですが、ここを拠点にして派遣労働に出ているというライフスタイルがあることも考えさせられました。正規雇用ではないが、仕事はある。けれど、住居を借りられるほどの収入はない。こうした経済的苦境に立っている人が、世の中の隙間で生き抜いていることが広く知られるようになりました。独身者ならまだしも、これが親子連れだとどうなるかと、ちょっと暗澹とした気分になってしまったものです。海外の児童文学作品では、本書のように、住むところがなく、自動車で暮らしている家族の物語を見かけることがあります。『犬どろぼう完全計画』や『クレンショーがあらわれて』などもそうした窮状を描いた作品でした。船上生活やトレーラーハウス暮らし、という住居形態もある国では、選択肢としてのニュアンスが日本とは大分違うものかも知れませんが、車で暮らし続けることは、たとえキャンピングカーであっても厳しい感はあります。住所が定まっていない子どもは、どうやって学校に通っているのか。そもそも入学を認められるのか。なによりも気になるのは、そんな暮らしぶりを子どもたちはどんな気持ちで受け止めているのか、ということです。情操教育に良くないとか、そんなレベルではない苦境に揺れる子どもの豊かな感受性を描く物語。本書もまた、ユーモラスな語り口で、ハードな自動車暮らしの生活が詳らかにされていきます。住所、不定の先に、それでも幸福を見出すことができれば良いのですが。
もうすぐ十三歳になるフィーリックスは、シングルマザーの母親と二人で暮らしています。母親のアストリッドはフィーリックスにたくさんの愛情を注いでくれるものの、母親には向かないタイプの人です。仕事は長く続かないし、社交的なのに友だちを無くしがちなのは、嘘をつきがちで、信用をなくしがちだからです。うまく社会生活を送れないのは、プライドが高く、人に頼ることができないからですが、仕事がなくなり、収入が得られなければ、さっそく窮地に立たされることになります。住んでいたアパートを出て行かざる得なくなった二人に残されていたものは、アストリッドが付き合っていた男性が所有していたキャンピングカーでした。これを無断借用して、二人の「住所、不定」の生活が始まります。あくまでもこの暮らしは一時的なものだと言うアストリッドは、巧妙な嘘を駆使して、フィーリックスを学校にも通わせます。とはいえ、お金もなく、狭いキャンピングカー暮らしでは、フィーリックスは身だしなみひとつ整えるのにも苦労します。幸い、以前に同じ学校に通っていたディランと同じクラスになり、また、ちょっと気難しいタイプの女子、ウィニーと学校新聞づくりを通じて親しくなったフィーリックスは、自分の暮らしぶりを隠しながら、普通の子のように学校生活を送っていきます。住んでいる場所が毎日、違うことがバレないように必死にごまかし続けるのは、恥ずかしさだけではなく、もし子ども家庭省にこの状況が知られたら、アストリッドと一緒に暮らせなくなることを恐れているからです。定職を見つけられないアストリッドは、うつ状態になっていき、ますます二人は追い詰められていきます。そんな折、フィーリックスに、クイズ番組出演のチャンスが訪れます。クイズが得意なフィーリックスは予選オーディションを勝ち抜き、本選への出場権を得ます。優勝すれば、数年の家賃を賄える高額賞金を手にすることができる。キャンピングカー暮らしも四ヶ月となり、限界が近づいていました。一発逆転の好機をモノにできるのか。いやいや、問題の根幹をちゃんと見つめるこの物語は、イージーな解決策に落とすことなく、それでいて人間の友愛や善意を信じられる帰結を見事に迎えさせてくれるのです。
お母さんのアストリッドがどうにもダメな人です。嘘はつくし、違法行為でさえ自分の理屈で正当化して押し通してしまいます。子どものためを思えば、生活困窮者救済のためのフードバンクを活用すべきなのに、プライドが許さないのです。自分の意にそわないことを我慢できない性格は、サービス業に向いておらず、仕事は続かず、特技である絵を教える仕事を得ることは難しい。そもそも福祉に頼ることを避けているのも、思い込みによる誤解や人を信用していないからです。そんな困った母親ではあるのですが、息子を愛する気持ちは強く、息子もまた母親の社会性が欠けた点をなんとか飲み込んで、この窮地を共に生き抜こうとしています。なんとも健気で、いじらしい少年です。『ひとりぼっちのスーパーヒーロー』のヘック少年と同じように、福祉事務所に母親の状態がバレることを避けるあまり、誰も大人に相談できずに孤軍奮闘を続ける姿と、その一途な愛情は共通するところがあります。本書は、要所要所で、困っているフィーリックスに深入りはしないものの、助けてくれる人たちが現れます。そうした善意がベースにある世界だということが、読み進める勇気を与えられます。こうした、しんどい状況にいる子どもの見えにくい(そりゃあ、巧妙に隠しているわけですから)困窮状態に誰かが積極的に手を貸さなければ、救われないのです。フィーリックスの状態に気づかされた、友人のディランとウィニーが行動を起こしていくあたりは、胸が熱くなります。特にジャーナリストを目指す生真面目すぎる少女ウィニーのキャラクターが秀逸なこともあり、フィーリックスと意地を張り合いながらも応援していく、そのエールは心強いのです。家庭生活で困ったことがあったとしても、胸襟を開いて大人に相談する、ということができないのが子どものデフォルトだと思います。そこに子ども心の色々なものが詰まっていて、文学の妙味もあるわけですが、子どもたちを救済するための世の中の姿勢を考えさせられます。社会環境と個人の資質と自助努力は難しいバランスですが、アストリッドのような人にこそ適切なガイドが人に与えられることが必要だと思います。この物語、アストリッドが人を信じていない、という問題が根幹にあります。過去に酷い目にあった経験や自分も人に嘘をつくことで、自分の世界を閉じてしまったのです。母親を愛するフィーリックスは、そこから世界を先に進めていきます。人の善意によって上手くいってしまう物語は、ご都合主義とも言われがちですが、子どもたちに人の善意を信じさせることで生きる勇気を与えようとする、祈りや願いなのだと思いたいですね。