光のうつしえ

出 版 社: 講談社

著     者: 朽木祥

発 行 年: 2013年10月

光のうつしえ  紹介と感想>

遠近感をあえて無視する。遠くにあるものを近くにあるように描いていくことが必要とされるケースもあります。時間の経過とともに遠ざかっていくものを、間近に描き出す。戦争の記録と記憶は、風化させないために、何度でも現在に引き寄せる必要があるのだと思います。絶えず現代に戦争児童文学を描き続ける意義はそこにもあります。一方で経過した時間もまた、人間の営みであって、痛みとともに過ごしてきた時間やプロセスもまた大切なものです。人間はスイッチを切り替えるようには気持ちを入れ替えることができないから、少しずつ乗り越え、少しずつ回復していきます。少しずつだけれど前に進める。これはささやかだけれど、大きな希望です。もはや1ミリも先に進めないと思ってしまう時もあるのだから。失ったものが大きすぎて、痛みに耐えられないことも、悲しみを堪えきれないこともあります。ただ痛みや悲しみと共に生きることが、失ったものを悼むことであり、それによって自分もまた癒されることがあるのだと思うのです。近年「癒し」という言葉はイージーに使われがちで陳腐化しましたが、もう充分に悼んだと思えた時、人は癒されてもいいのだと、今、生きていることを赦され、祝福されてもいいのだと思うのです。こう書いていくと、デビュー作の『かはたれ』以来 、朽木祥さんの作品に通底するものは変わらないし、読書によって読者が共に感じ、共に苦しみ、共に歓びあえる魂の共鳴は健在だと嬉しくなるのです。 

原爆の惨禍に遭った広島の人たちを描いた朽木祥さんの連作短編集『八月の光』は物語の時間が昭和二十年の八月にあります。この物語『光のうつしえ』では、その二十六年後の時代を舞台に、中学生たちが、あの原爆がもたらしたものを体感していきます。それは、原爆投下の瞬間だけではなく、そこからの時間を、人がどうやって乗り越えてきたのかを知ることです。子どもたちたちが感じとっていく姿を見るという物語の多重構造が、より感じとらせてくれるものがあります。1971年の中学生たち。美術部に属する彼らは秋の文化祭に向けて「あのころのヒロシマと廣島」をテーマに作品を作ることになりました。原爆投下を体験した大人は多いけれど、正面切って話を聞いたことはありません。四半世紀前、原爆の光と熱によって一瞬にして七万人が消えてしまったことが中学生たちには信じられません。しかし原爆を体験した人たちもまた同じだったのです。大切な人が消えてしまったことを未だに信じられないでいるのです。失った人を未だに捜し続ける、その思いを聞き、癒されない思いを、戸惑いを汲み取っていく子どもたちの心の共鳴。いつもは飄々とした美術の先生が抱えている、恋人を原爆で失った悲しみ。大切な家族が消えてしまった衝撃。四半世紀が経っても継続する痛みを、人は抱え続けている。中学生たちが、それぞれの人の物語を聞き、それを自分の作品に込めていきます。人の大きな悲しみにどうすれば寄りそうことができるのか。失われたものを慈しみ、心に刻み、忘れないこと。子どもたちの心に描き出された悲しみを越えた彼岸にある美しい情景が、ここに繫ぎ止められ続けることを祈りたくなるのです。 

自分もまた『八月の光』を読んだ際には、あまりの惨状に戸惑ってしまい、どう言葉にして良いのかわからなかったのです。たとえば、酷く悲しい思いをした人に、かける言葉が出てこないために沈黙してしまうことはあります。言葉は見つからなくても寄添い続けること。共に感じること。共に悲しむこと。それがおそらくは正解なのかとは思うものの、やはり自分に何もできないことがもどかしく、いたたまれなくなるのです。だから目を逸らしてしまう。親を一瞬で消され石段の影に変えられてしまった人に、一体何を言えばいいのか。『光のうつしえ』では、子どもたちが目を逸らさず、原爆で愛する人を失い人生を変えられてしまった人たちの、それからの長い時間をトレースしていきます。完全に理解することはできなくても、知ることで寄りそえる。小さな物語が「できること」について、朽木祥さんは『八月の光』のあとがきで言及されていました。もし、わずかな言葉にでも伝えられることがあるのなら、沈黙してはならない。この本を読んだよ。辛くて、悲しかったよ。なんで人はこんなことをしてしまうのだろう。もうやめようよ。そんなストレートな感想を書き綴った方が伝えられることがあるなら、表現を凝したがる業を排して、両手をあげてそうしたいと思うのです。こんな感想でも多少は伝わったでしょうか。