ジャストインケース

終わりのはじまりできみを想う
Just in case.

出 版 社: 理論社 

著     者: メグ・ローゾフ

翻 訳 者: 堀川志野舞

発 行 年: 2009年12月

<  ジャストインケース  紹介と感想  >
何を切り口にして、この作品の話をはじめたらいいのかと思っています。実際、まとめようがなくて途方に暮れている、そんな読後感です。暴走していく少年期の複雑な自意識をウオッチする感じなんだけれど、なんというか狂気スレスレで手に負えなくなってしまい、共感の範囲は既に逸脱しています。ほら、たまに「他の人には見えない何か」と会話している人と行きあうことがありますが(電車の中で良く見かけますね)、その心のうちを推し量るのは難しいものがあって、近づかないようにしているのが現実。物語ではもう少し親近感があるかなとか思いましたが、やはり難しいようです。彼が会話しているのはペットの犬なのか、それとも死神なのか。ナイーブさが針を振り切って、理解不能な領域にいってしまった少年。運命のスナイパーに狙われ続け、危機感にいつも焦がされている少年。自分に向けられている刃を想像のうちに感じとり、自らもむき身のナイフを呑んだようなメンタリティで彷徨い歩く。北原白秋の少年詩に、町中に隠れた見知らぬ敵に付け狙われる焦燥を歌ったものがありましたが、そこには、得体の知れない不安だけではなく、恍惚もあったのではないか。ということで、鼻もちならない過剰な自意識も「少年であること」で、ギリギリ中和され、ロマンたりえるのかも知れないのですが、これは、なかなか難しいバランスです。

15歳のディヴィッド・ケースは、運命をあざむくために、突然、ジャスティン・ケースと名乗り、突飛な行動にでるようになります。万が一の不幸が自分を襲うだろうという破滅の予期不安は彼を苛み、焦燥のうちに行動せざるをえなくなってしまったのです。人には見えない犬を連れ、服装を変え、別人のように振る舞おうとする彼は、学校では特異な目で見られますが、理解者も現れます。年上のフォトグラファーの女性アグネスは、彼をプロデュースして、別人ジャスティンを完成させようとします。アグネスへの恋愛感情に落ちていくジャスティンでしたが、やがて自分が彼女の作品でしかないことに気づき、さらに加速度を増しておかしくなっていきます。一方、ジャスティンをつけ狙う運命は、本当に、彼の目の前に飛行機を落としたり、難病を差し向けたりと、破滅のゴールに近づけようとしていきます。この子、このままどうなっちゃうのかな、という感じですが、野心的な作品は野心的なままの帰結を迎えるのです。えーっ?。

期待感と不安感がないまぜになって、過剰な自意識の虜になっている、というのが少年時代の多かれ少なかれだと思っています。格段、いいことなんてなかったけれど、そんなひどいこともなかったよね、は個人的な結果論。二十年以上経過したから言える総括です。抜群の不安定感を保っていた、あの危うい「少年性」とともに少年が殉死できたのならば、運命の物語として語り継げるものになるのか。そんな、忘れてきた少年と物語の中で再会する気分は悪くないのですが、やや濃度は高すぎる作品でした。僕自身も不安定ではあったのですが、高校生の時の友人で、さらに、いつも何かに追いかけられているような人がいました。「マズいんだ、マズいんだ」と、夜に突然、焦りきった様子で電話をくれるのですが、何がマズいんだかさっぱりわからない。彼は、いったい、どんな不吉な運命の予感に突き動かされていたのだろう。これは少年性というよりは「病理に近い何か」なのかも知れないのだけれど、なんというか人に説明できないようなことってあるよね、若い時って、と、この感想を、まとめてみたいと思います。是非、思春期の少年のお母さんたちに読んでいただきたい作品です。

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