花あかりともして

出 版 社: 出版ワークス

著     者: 服部千春

発 行 年: 2017年07月

花あかりともして  紹介と感想>

昭和前葉の大衆小説が好きで学生の頃はよく読んでいました(児童文学をよく読むようになったのは社会人になってからです)。大陸で日中戦争が行われていても、まだ日本国内は活き活きとした日常が息づいていたのだなと、当時の文物から感じていました。デパートや行楽などで消費を楽しむ姿はいつの時代も変わらないものです。太平洋戦争が始まると次第にトーンが変わっていきます。軍国化していくプロセスは同時にマインドコントロールもあって、物資が欠乏しても我慢することが清く美しく描かれていきます。作家の戦争協力も戦後問い質され、現在も反省が掲げられているところですが、時代の実相がリアルタイムの小説からでは逆にわからなくなるという皮肉がそこにあります。戦後、アプレゲイルの世相を描く作品が、そうした似非の美しさを覆えしていくのですが、どこか清貧のストイックさが床しく、美徳を見いだしてしまったりするのも悪いところ。やはり、安吾先生の『堕落論』を胸に刻まなくてはならないのです。あらためて、あの時代の庶民の暮らしのリアルを感じなくてはと思います。本書では、戦時を生きた祖母と現代を生きる孫娘が時代を越えてシンクロします。国家に統制された世界では花を育てることさえ許されなかったなんて。現代の子どもが驚きを持って過去を知る物語です。そして、辛い時代を生き抜いた祖母と現代の自分もまたつながっている。そんな命の連環を感じとらせる作品です。 

不思議な出来事。小学五年生の花は夢の中で一緒に暮らしている、おばあちゃんの少女時代を体験します。折しも体調が優れず、入退院を重ねることになったおばあちゃんは、パソコンで自分の子どもの頃のことを書き始めるようになります。おばあちゃんの病状が芳しくないことを知った花の心は、昭和十八年の夏を生きている、おばあちゃんである少女、静江の世界を感じとっていきます。物資は不足し、灯火管制など自由が制限されている時代。召集令状が来て、出征が決まったお父さんが「花あかり」を目印に帰ってこられるように、ユウガオの白い花をさかせておくと約束した静江。しかしやがて花を植えることは条例で禁じられ、穀物や野菜を育てることが求められるようになっていきます。お父さんとの約束があるからユウガオを咲かせ続ける家族は、非常時に相応しくないと周囲の人たちから白眼視され、意地悪をされます。それでも一途に父親を思い、帰りを待ちわびていた静江。そして、終戦を迎えることになります。父親は無事、戦地から戻り、「花あかり」を目にすることができるのでしょうか。

巻末に「花禁止令」についての詳しい解説があります。農地の作付を統制する条例が昭和十六年に発布され、食料以外の植物を育てることが禁止されたそうです。戦時下にはなんの役にも立たないと切り捨てられていったものが数多くあります。ペットの犬猫を供出させられたという話など、かなり胸に痛く響きます。我慢して、堪えることが美徳とされていました。人間として正しいあり方が、国によって作られていく。何を不謹慎だと思うのか、善悪の意識自体がコントロールされていることに恐怖を感じます。それでも押し付けられた価値観に抗い、人から後ろ指をさされても、貫き通したい気持ちもあるのです。心豊かに生きるということが難しい時代だったのだと思います。戦時下に生きた静江の気持ちを、現代の花が体感し、そして、祖母の長い道のりにも思いをはせる。戦中戦後を力生き抜いた力を受け継いで、現代に自分が立っているのだと、子どもたちが体感できると良いですね。過去と現在はつながっており、多くの記録が残されていても、次第に当事者のように感じることはなくなっていきます。作者あとがきにはこの本の執筆に関する熱い思いが寄せられています。記録に魂を込めて物語として息を吹き込んでいった作者の思いに感嘆します。ちなみに出版社の作品紹介も熱がこもっていますよ。