六四五年への過去わたり

平城の氷と飛鳥の炎

出 版 社: くもん出版

著     者: 牧野礼

発 行 年: 2022年06月

六四五年への過去わたり  紹介と感想>

とても面白い作品で、語りたい点がいくつもあります。まずは、この物語で「過去わたり」と呼ばれているタイムリープについて。時間移動をもっとも有益に活用できる人といえば、歴史研究家です。フィールドワークの一環として、過去の時間域に調査に赴いたり、歴史に干渉しない範囲で過去の遺物を持ち返るなど、まさに研究者の夢が実現できるものかと思います。SF作品では、歴史専攻の学生たちが、研究のために過去の時間に赴くオックスフォード史学部シリーズが(『ドゥームズデイブック』『犬は勘定に入れません』『ブラックアウト』などのコニー・ウィルス作品)実に読み応えがあります。もちろん予期せぬトラブルのために、学生たちが、現代に戻れなくなる危機的状況もまた醍醐味であったかと思います。『犬は勘定に入れません』(これは、あの『ボートの三人の男』と掛かっているタイトルです)では、戦災で失われた遺物を過去の時間から救い出すミッションが物語の導入だったと記憶しています。本書もまた歴史研究者が戦災で消失した大切な資料を入手しようと過去の時間に赴きます。興味深いのは、この物語の基点が平城京の時代、八世紀初頭であることなのです。奈良時代に史書の編纂を行なっている歴史家たちが、飛鳥時代中期の大化の改新の騒乱で焼失した歴史書を救い出そうとする。なんともワクワクする設定です。また、なんでもありになりがちなタイムリープものには魅力的な制約条件が必要ですが、本書では、時間移動を司るツールが「氷」であるというところがポイントです。その氷が溶けるまでの短い時間しか過去に留まれない。それなのにタイムリープする目的は、騒乱で燃えさかる屋敷から、大量の書物を持ち帰るという、所謂、無理ゲーなわけです。この制約条件の絶妙さ。ここに主人公の少女の心の成長という児童文学的要素が加わり、輻輳するハーモニーが物語空間を彩っていくのです。

奈良時代初期。国家事業として史書『日本書紀』の編纂を主導する舎人親王は、かつて大化の改新の騒乱で喪失したと言われる歴史書『天皇紀』と『国記』を入手することを臣下である青年、言祝(ことほき)に命じていました。それは『日本書紀』の完成のためにどうしても必要な資料だったのです。火が放たれた蘇我蝦夷の屋敷に所蔵されていた書物を、その現場から持ち帰る。それを実現できる、時間を遡る秘術が彼らにはありました。特別な氷の剣で空間を切り裂き、その狭間から時を渡る。しかし、その氷が溶けてしまえば帰る手段を失い、時を渡った人間は過去に留まることもできず消滅してしまうのです。これまでに何名もの人間が、燃えさかる屋敷の中で『天皇紀』と『国記』の捜索を行ったものの、目的を果たせず、無事に生還できたものはいません。この過酷なミッションに挑むために、言祝は、慎重に計画を立てます。まずは事前に屋敷内の綿密な調査が必要です。言祝は、怪しまれないように、目立たない少女を小間使いとして屋敷に潜入させ、屋敷の見取り図を作らせ、本のありかを探らせようとします。その任についたのが、身寄りのない少女、沙々(ささ)です。貴人にさらわれた姉を捜す十二歳の沙々は、言祝と出会い、その火の玉のような気骨を認められて、この仕事を任されます。来るべき日に、業火の中から迅速に目的のものを回収するために、七十年前の世界に幾度も渡り、情報を集める沙々。準備期間の長い年月の間に成長していく沙々と、それを見守る言祝の関係性もまた読みどころです。さて大化の改新のクライマックス、中大兄皇子に蘇我入鹿が討たれる日、燃えさかる蘇我邸から、果たして、言祝と沙々は『天皇紀』と『国記』を救い出せるのか。児童文学タイムファンタジーの魅力が一杯に詰まった物語です。

SFが描く未来にも歴史物が描く過去にも、作品が書かれた時代のメンタリティが写し絵となって表れるものです。本作も現代(2022年)の感覚が多分に投影されています。特に「人の評価」については、非常に会社員的なセンシティブな現代感覚が垣間見えます。鼻っぱしらは強いけれど、自分に自信がない沙々の、その機転や勇気を高く評価する言祝は中間管理職であり、さらに上司である舎人親王に沙々を評価してもらおうとしますが、上級貴人のスケールからは、とるに足らないものでしかなく、思ったような反応は得られません。経営者感覚からは小手先の処理能力の高さなど価値がないわけで、そもそも評価基準が違うのです。貴族社会や封建時代の上下関係をパワハラ、モラハラの尺度で測っても仕方がないところですが、現代人としては、上の人間の「物の言い方」や評価の仕方にデリカシーのなさを感じとってしまうものでしょう。一方で、わりと生意気な口もきく沙々を、言祝がそこまで推すのは、自分も同じ身寄りのない境遇から陰陽寮の星読みになったという出自からのシンパシーがある、だけではないというのが味わいがあるところです(この作品、宝塚歌劇団がミュージカル化すると良いなと思うようなロマンなのです)。他にも沙々の姉の「変わり身の早さ」(柔軟な意識変革というべきか)など、過去の作品のセオリーからは逸脱した感覚に驚かされるところがあります。「古臭いお決まりのパターン」を蹴飛ばした、非常に新しい感覚に溢れた物語で、それでいてタイムファンタジーの定番の面白さを備えた、実に贅沢な作品です。