兵士ピースフル

Private Peaceful.

出 版 社: 評論社

著     者: マイケル・モーパーゴ

翻 訳 者: 佐藤見果夢

発 行 年: 2007年08月


兵士ピースフル  紹介と感想 >
この作品のテーマは重い。とても重いのです。なにかの「終わり」が近づいていながら、読者にはそれが何かわからない。その「終わり」にいたるまでの長い時間が回想として綴られていきます。やがて物語に一筋の流れが見えて、たどりつこうとしている「終わり」が何かわかった時には、既に取り返しのつかない状況になっている、なんてやりきれない思いがします。読むことがとても辛い作品。でも、あえて勇気を持って読んで欲しい。戦争の悲惨さを訴えた作品である、ということよりも、慈しむべき命の愛おしさと、その心映えを感じることのできる作品です。いくつもの惜しまれるべき命の物語。それぞれの命にとても大切な意味があることを、この長い物語を読むことが感じさせてくれます。20世紀前葉のイギリスの片田舎。一部の有力者が牛耳る封建的な土地で、弱者としての辛い暮らしを余儀なくされているひとつの家族が、それでも愛情に満ちた強い結びつきを持って生きていく姿には強く心を動かされます。それゆえに、その結びつきが理不尽な力によって壊されていくことが、なんともやり切れない思いがするのです。さて、どこから話をはじめたら良いものか。この物語を読み終えたショックから立ち直るために、気持ちを整理して、言葉にしてみたいと思います。

ピースフル。その少年たちの姓です。平和で穏やかなという意味を持つ名字。でも、なかなか少年たちの心は、穏やかというわけにもいかない毎日を送っていました。仲の良い三兄弟の長兄のジョーは、子どもの頃に患った病気の影響で脳に損傷を受け、知的な遅れがあります。それゆえに、ジョーは人を恨むことを知らない穏やかで優しい子に育ちました。そんな兄を、二人の弟、チャーリーとトーマスは、意地悪な人間の偏見や差別から守るために日々闘っていました。森番であった父が事故死したことから、まだ幼い兄弟とその母は経済的な危機に追い込まれます。父の雇い主であり、兄弟たちが住む家の貸主でもある「大佐」は独善的で傲慢な人物。封建的なこの村では、有力者である大佐に逆らっては生きていけないのです。ちょっと鼻っ柱の強いチャーリーと弟のトーマスは、横暴な大佐に対して、ささやかな抵抗を試みますが、それが余計に大佐の怒りを買うこととなります。心優しい兄ジョーを守り、母を助ける、近所に住む極端に厳しい両親に育てられて、息苦しい思いをしている少女、モリーと親しく接しながら、兄弟は成長していきます。堅苦しい倫理感に縛られた田舎の村で不自由をしながらも、兄弟は信頼を深め、互いを思いやりながら暮らしていました。やがてチャーリーとモリーは恋に落ち、また同じくモリーに恋するトーマスは祝福しながらも複雑な思いで二人を見守ることになります。時に1914年、サラエボ事件を契機に始まった第一世界大戦は、この田舎の村にも影響を及ぼし始めました。大佐の圧力によって志願兵にさせられたチャーリー、そして、兄を追ってトーマスもまた兵士になります。二人が赴いたのは、歩兵たちが地を這う塹壕で激しい銃撃戦を行い、機関銃や手榴弾、毒ガスも使用される残虐な大量殺戮時代の戦場でした。しかし、兵士となったピースフル兄弟が目にしたものは、敵と殺し合う陰惨な戦闘だけではなく、戦場というゆがんだ世界が狂わせてしまった人間の心の彼岸だったかも知れません。

ひどく理不尽な話です。ただただ悲しみだけが残る結末です。正義はどこにもないのが戦場であるかも知れないのですが、それなのに大切な何かを守るため、誰かを守るためと、自分自身を鼓舞しながら、仲間と共に闘おうとする若者たちの姿は、悲しく切なく感じられます。極限状態においては、人間としての尊厳を守ろうとすることさえ、そんなにも過酷なことであるのか。平和や人権を守っていかなくてはならないと、深く考えさせられる作品です。テーマの重さもさることながら、トーマスのチャーリーやモリーに対する微妙な距離感や気持ちの揺れが繊細に描かれていることが物語に膨らみを与えています。大切な人間に対する、深くあたたかい気持ち。そのすべて失われてしまう瞬間に向かって、物語が加速していくことを止められない。そして、読む手を止めることもできないのです。読み終えて、重い溜息をつくこと確実な一冊です。しかし、読むべき本ではある。是非、読み、感じ、考えて欲しい本と思います。無常観ではなく、正しい義憤を身につけるべき時機に読むべき本はあります。それにしても、評論社さんのYAシリーズの渋すぎるラインナップよ。YAには凡そ似つかわしくない「いぶし銀」という言葉を冠したくなってしまいますね。

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