君がいない世界は、すべての空をなくすから。

出 版 社: スターツ出版

著     者: 和泉あや

発 行 年: 2019年02月

君がいない世界は、すべての空をなくすから。 紹介と感想>

児童文学は健全で真面目で正しいことばかりが書いてある、ようなものじゃないことはご存知の通りです。児童文学もまた「文学」であり、人間存在の本質や深淵を見つめて、時に不条理でアンビバレントな感情や、捉えようのない溢れる感情をそのまま繋ぎ止めることが真骨頂なのです。子ども心は危ういものです。それを見守り、寄り添い、力づけるには、健全な正論だけが有効ではありません。一方で、ケータイ小説の系譜であるスターツ出版が刊行する物語が、比較的、健全で正しい倫理観に裏打ちされたものであることは興味深いところです。要は、心の隙間や闇が見えないあたりが身上なのです。この物語でも、母親との関係に悩む主人公の少女は、勇気をふるい、母親と正面から向きあい、話し合います。それにより互いの誤解が解け、雪解けを迎えるのです。正攻法の正面突破です。そこまでの心の傷め方にも深刻なものがあったために、話せばわかる、ことにも救いがあります。人はわかり合えないし、考え方の違いは越えられないし、並行線をたどるものです。共感はできないがそれでも共存を目指す、というスタンスが落としどころのような気がしますが、悩んだ先に和解が見出されるのがこの物語です。これをベタだと言ってしまうと、元も子もないのですが、失われつつある真っ当さを繋ぎ止めたものではないかとも思うのです。アンビバレントな隙間風に心が疼くような読書ではなく、原色の海にどっぷりと浸ること。このピュアさもまた読書の心地よさかも知れません。悩みを抱えた主人公の少女が、ちょっと不思議な体験を通じて、心を癒されていく常套の物語です。文芸的に進化を続けているスターツ出版作品ですが、本書はいたって保守的であり、それゆえに求められるものが純粋に描き出された潔いものとなっています。

都会に暮らす高校生女子、凛(りん)。幼い頃から人見知りで内向的な性格でコミュニケーションが苦手。それでも高校生活をなんとかやり過ごしています。時折、胸に兆すのは、人口一万人ほどの離島「予渼ノ島(よみのじま)」で暮らしていた幼い頃の記憶です。保育園でいつも自分に優しくしてくれた男の子、渚(ナギ)のことを、初恋の思い出として凛は胸に刻んでいます。父親が亡くなり、母親と二人で都会に引っ越した後、中学生の時にスマホを水没させて以来、連絡がとれず、疎遠になっていたナギのことを、ふいに夢に見て、会いたい気持ちを募らせた凛は、冬休みに一人、育った島を訪ねようと思い立ちます。八年ぶりに島に降り立った凛は、偶然、ナギのイトコであるヒロキと再会し、ナギの消息を聞きますが、何故か言葉を濁されます。ナギとの思い出である翡翠の勾玉のペンダントを身につけて、島をそぞろ歩き思い出に浸る凛。島の展望台を訪ねた凛は、そこで、ナギと再会を果たすことになります。以前と変わらず、明るく優しく屈託のないナギ。こうして島での二週間の滞在の間、凛は時折、ナギと会い、話をすることができるようになるのですが、ナギは何故かいつもスマホを携帯しておらず、神出鬼没で、不意に現れては消えてしまうのです。不審に思いながらも、ナギとの関係を深めていく凛は、この島に戻って暮らすことを意識していきます。ところが、ヒロキと再び会った際に、ナギのことを話したところ、ヒロキは驚き、凛に真相を告げます。凛が島に来る数日前に、ナギは事故にあい、意識不明のまま入院しているというのです。それでは、凛が会っていたナギは一体、何者だったのか。まだ生きているから幽霊ではない、とはいうものの、ナギの命は風前の灯火です。凛に会いたいというナギの気持ちが、勾玉を通じて凛に届いたのか。凛の一緒にナギと生きたいという強い意志がやがて奇跡を起こします。黄泉の国の入り口であるという島で、哀しい伝説をハッピーエンドに書き換えていく人見知りの少女の成長がここに描かれます。

この物語には、凛が母親との不和に心を傷めているという横軸が貫かれています。彼女が家を離れて、一人で島に来たことにも、母親と一緒にいたくなかったという事情があります。母親に恋人ができたことは、父親を亡くしてからの時間を考えれば、凛にも理解できることです。とはいえ、母親が恋人に、自分のことを、いらない子だと打ち明けている電話を聞いてしまった凛は、母親に邪魔者扱いされているかことを知り、深く傷ついていたのです。物語を通じて凛は母親との関係に悩み続けていますが、勇気を出して、母親の真意を問いただしたことで、これが誤解であったことに気づきます。いらない子とは、壊れた掃除機のことだったという、なんともハッピーなオチなのです。とはいえ、この問題を乗り越えたことで、凛には勇気が湧き、ナギを支える決意をします。凛の逡巡を他愛ないと言ってしまうのは簡単です。話せばわかる、かも知れないものの、その勇気を振り絞ることができないのが、等身大の気弱な少女なのです。彼女の精一杯の勇気は、本人比では賞賛に値するものです。さて、母親との不和が、誤解ではなく、親子ながらも本当に邪魔にされているという事実を受け止める物語もあります。そこまでいくと人間は、もはや文学的に達観しなければ、この事実に太刀打ちできない気がします。悲痛な物語をハッピーエンドに書き換える力が人間には必要です。甘口の物語もあれば、辛口の物語もありますが、人生の悦びを見出すための、支えになるものを、人は読書に欲してしまうものかも知れません。