吹きぬけの青い空

出 版 社: 学研プラス

著     者: 志津谷元子

発 行 年: 2006年06月

吹きぬけの青い空  紹介と感想>

子どもが一人、年金暮らしのおじいさんが一人、退職後に家政婦をしているおばさんが一人、引きこもりの若い女性が一人。同じマンションでそれぞれ暮らしている赤の他人同士。これが、この物語の主な登場人物たちです。主人公の小学生、真(まこと)には、ちゃんと両親がいるのですが、物語にあまり関わることはありません。都市部のマンションの住人たちの物語でありながら、まるで過疎地の限界集落のような終末感がここにあります。真の住む賃貸マンションは築四十年を越えて老朽化が進み、建て直しのために住人たちは立ち退きを要求されていました。住む場所を見つけて、すぐにも出ていける人は良いのですが、行くあてのない人は、ここに居残らざるを得ません。おんぼろマンションともお化け屋敷とも呼ばれている手入れの行き届かない古い十階だてのマンションには、建物の中心に吹き抜けがあり、そこからは青空が顔をのぞかせています。閉塞感の中にある一抹の清涼感。とはいえ、救いの少ない物語です。社会的な弱者が追いつめられても、社会は手を差し伸べてはくれません。むしろ冷たく無情にあしらわれます。奇跡が起きなくても、人は生きていかければなりません。痛快な逆転劇はないまま、弱い人間同士が支え合い、たがいを思いやることで、かろうじて活路が開かれます。そんな苦肉の解決策が鈍く光る物語ですが、ここにあるささやかな愛を慈しむことが、人間にとって大切なのだと思います。たとえ不利益があっても、愛のある生き方を選択すること。少年が難題と直面して、自分の無力さを噛み締めながら、人としてのあり方を学んでいく姿が活写されます。心が目覚めていく季節がビターに描かれていく、第14回小川未明文学賞受賞作です。

当初、真はこの同じ賃貸マンションに住む、他の住人たちに強い警戒感を持っていました。友だちは皆んな引っ越してしまい、残されているのは一人暮らしの大人だけ。ろくに挨拶さえしないものだから、口うるさいじいさんである荒木田さんには叱られてばかり。真は荒木田さんとは、かたきどうし、だとさえ思っていました。手入れがされなくなったマンションには危険も潜んでいます。調子が悪いエレベーターには乗ってはいけないと言われていたのに、うっかり乗って、荒木田さんと乗り合わせてしまうという不運。苦手な人と一緒にエレベーターで二人きりなんて、これはなかなか気まずいシチュエーションです。案の定、故障が発生して、エレベーターに二人は閉じ込められてしまいます。とはいえ、これが真と荒木田さんが近づくきっかけになるのです。口うるさいじいさんとしか思っていなかった荒木田さんが、若い頃は小学校の先生だったことを知り、真は部屋を訪ねて勉強を教えてもらったり、一緒に碁を打つようになります。警戒心をまだ解いてはいないけれど、次第に荒木田さんの心のうちを知っていく真。担任していた生徒が亡くなったことに責任を感じて、失意を抱いたまま教師を辞めた荒木田さん。厳しいけれど、子どもを思いやる気持ちがあることに真も気づきいていきます。ぶっきらぼうな言葉しか口にしない真の心が少しづつ動いていく、この間合いの詰め方がいいのです。えり子さんというマンションの上層階に一人で暮らしながら、働かず外に出ることが苦手な若い女性もいます。真は心に重荷を抱えたそんな大人たちと出会い、その気持ちに触れていきます。立ち退きを迫るオーナーや管理人からは執拗に嫌がらせを受けたり、次の住まいを探そうとしても、不動産屋からも冷たくあしらわれてしまう。惨めな思いをしている大人たちを、真はどんな顔をして見ていたらいいのか。今まで無関心だった人たちに心を引き寄せられ、そして、困っている人を前にして、自分に何ができるのかと問いかける。真に、人を思いやる気持ちが生まれる瞬間がここに捉えられていきます。

この物語では、弱者が救済されません。社会の制度も大きな善意もここには届きません。相互扶助によって、弱者同士が支えあい、かろうじて、この窮状をしのぐだけなのです。真は自分が何もできない悔しさを噛み締めます。今まで無関心だった他人に関わっていくことで、人の心の痛みを共に感じるようになる。その共感する心が育っていくプロセスをじっくりと読ませる物語です。ボーイミーツオールドボーイの物語。この作品もまたそうした感慨をもたらしますが、少年にとって手強い敵であったはずの老人の、その弱さを前にして、心に痛みを覚えたり、両親に力を借して欲しいと訴えたり、真が今までの自分を越えていく姿に心を動かされる作品です。どこか腑に落ちない違和感のある展開もありますが、逆に現実とはそういういびつなものではないのかと、ある種のリアリティを感じます。残念ながら、問題解決に社会の手が差し伸べられることは少なく、人は自分一人で、その場をしのぎ、なんとか生き抜いていくものです。それでも、それが世の常なのだと諦めず、正しく憤り、人を思いやり助けあう。そんな真っ直ぐな理想が輝く物語です。この物語を読んでから何年も経つのですが、僕には最適な解決策がわからず、いまだに考えています。心に理想を灯して、人を思いやる。つまるところそれなのですが、おそらくは、真の両親のように、子どもの懇願に、にべもなく対応するだろう自分に、途方に暮れているのです。