影の王

King of shadows.

出 版 社: 偕成社

著     者: スーザン・クーパー

翻 訳 者: 井辻朱美

発 行 年: 2002年03月

影の王  紹介と感想>

現代(1995年)の少年が、400年前の世界で活躍するタイムスリップファンタジーです。 物語の仕掛けもさることながら、悲しみに心を塞がれていた少年の心の解放と成長を描く児童文学としても深い味わいのある一冊です。なによりも、現代の少年俳優がエリザベス朝の英国にタイムスリップして、シェイクスピアと彼の劇団で芝居をするという奇想の物語のワクワクする面白さ。不衛生であったり、残酷だったりする当時の文化風俗のディテールや時代背景の詳細も興味深いのです。座付き作家であり、役者でもあるシェイクスピアがどのように劇を作っていたか。また、その芝居が民衆にどう受け入れられていたのか。当時の劇場の臨場感が、現代の少年の目を通して読者にも伝わってきます。舞台に上る主人公の胸の高鳴りや息づかいが聞こえてくるような描写には、実に興奮させられるのです。また、主人公がタイムスリップした大いなる謎も最後に解かれる仕掛けになっているのですが、面白いことに主人公のタイムスリップは「ついで」なのです。その大義は別のところにあって、主人公の体験は副産物的なニュアンスのものだという予想外の種明かしもあります。しかし大義の陰に灯された I/Oものもまた守るべき大切なことなのだと考えさせられる結末が待っています。稀代の天才劇作家も、無名の一市民も、その魂の価値には違いがなく、その生涯に、何を愛し、何を願い、何を想ったか、歴史の中に消えていった束の間の灯にも、また愛おしさがあるのだと、深く胸に突き刺さる感慨を得られる物語です。

1995年の英国で、四百年に建てられた劇場、グローブ座が再建されようとしています。その記念プロジェクトの一環で、当時の舞台を再現した演出でシェイクスピア作の『真夏の夜の夢』と『ジュリアスシーザー』が上演されることになりました。アメリカの少年、ナットことネイサン・フィールドもこの企画のために集められた少年俳優の一人でした。ナットが『真夏の夜の夢』で演じるのは、妖精パック。当時の発音を再現することはアメリカ人であるナットにとっては難しいと思いきや、英国植民の先祖の名残がある地域で育った彼は、この難題にも適応しつつありました。厳しい演出家アービーの指導に耐えながら、稽古を重ねていたナットでしたが、ある晩、不意に体調を崩します。高熱を発したナットが病を抜けて目を覚ますと、そこは四百年前のエリザベス朝のロンドン。ナットは、できたばかりのグローブ座で上演される『真夏の夜の夢』のパック役に穴が空いたため、聖ポール少年劇団から代役として派遣された少年俳優と、何故か入れ替わっていたのです。戸惑いながらも、稽古を重ねた同じ役のセリフは頭に入っているし、この時代では思いもよらないアクロバットな動きもできるナットは、周囲を驚かせる活躍を見せ、また現代人としての知識で仲間の俳優の窮地も救います。なによりも、ナットにとって嬉しかったのは、神にも等しいシェイクスピアが座付き作家兼俳優としてここにいて、ナットを指導してくれるのです。エリザベス女王がお忍びで観劇にくるという舞台の上演を前に、その興奮は頂点に達します。現代の少年、ナットはエリザベス朝のグローブ座で新作『真夏の夜の夢』の妖精パックをいかに演じたのか。そして、このタイムスリップにはどんな意味があったのか。心に深い傷を負った少年が、不思議な体験を通して、回復していく成長物語です。

幼くして母親を病気で亡くし、父親も妻を亡くした心の痛手から立ち直れず自殺してしまったことで、両親を失ったナット。何をよりどころにして良いのかわからないまま、演劇にうちこむことで自分を支えていた少年は、現代で大きなチャンスを与えられ、さらにタイムスリップすることで、シェイクスピアと相見えるという奇跡を体験します。慈愛に満ちた慧眼の劇作家は、ナットの心のうちにある痛手を見抜き、その心を癒す言葉をソネットにして贈ってくれました。パックの大役を勤め上げたナットは、女王にも謁見し、その使命を果たして再び現代へと戻ることができます。しかし、逆に失われたものの大きさにも胸を焦がされます。シェイクスピアにとっては、ほんの束の間、邂逅しただけの少年である自分。それでも残された文物を遡り、過去に自分が存在した証を、ナットはシェイクスピアの作品に見出していきます。ナットが父親を恋慕う気持ちを、シェイクスピアの父性に重ねていくあたりも切ないのです。愛は、時や死がそこに入り込んだとしても変わらないしるしであるのだと、シェイクスピアがナットを慰めるために与えてくれた詩は教えてくれます。ナットは、その想いを胸に刻み、現代でシェイクスピアの戯曲を演じることで、彼と再会するのです。やはり少年とシェイクスピアの邂逅を描いた『シェイクスピアを盗め!』でも、シェイクスピアは立派な紳士であったのですが、偉人はかくあって欲しいものと思います。