恋するぷにちゃん

Dumplin.

出 版 社: 小学館

著     者: ジュリー・マーフィー

翻 訳 者: 橋本恵

発 行 年: 2017年07月

恋するぷにちゃん  紹介と感想>

愛称というのは親しみをこめて呼ぶ名前のことであって、決して悪口ではありません。とはいえ、小さな頃からずっと呼ばれている愛称は、当人もどこか気恥ずかしさがあるもので、その愛称から卒業したいと思うこともあるものです。ウィルの場合、高校生になっても、いまだにお母さんから「ぷにちゃん」と呼ばれています。というのは、ウィルがずっと太っているからで、ことあるごとにお母さんは娘にダイエットをさせようと思っています。一方でウィルは太っていることを気にしていないし、自己紹介の時には自分から「おデブ女子」だとアッピールするのです。たいてい相手はひるみます。そして、そんな自己紹介をしてもひるまず、笑みを浮かべてくれたボウに、ウィルは恋に落ちてしまったのです。これが地獄の始まりです。同じアルバイト先に勤めるボウは、私立のカトリック校に通うスポーツマンで格好いい少年です。ボウに夢中になっている気持ちをウィルが抑えているのは、今まで自分で気づいていなかったコンプレックスが目覚めてしまったから。見た目の良いウィルと自分が公然と並ぶことに、ウィルは戸惑いを感じています。そんな自分に気づいたら、もうお終いです。さてここから地獄の季節である思春期の過剰な自意識との闘いが始まります。ガールズ物語の王道をひた走ったその先には、無論、「自分らしい生き方」が見えてくるわけで、ゴールまで読者としても息を切らさず伴走を続けたいところです。

ウィルの宿敵は自分の体型をからかう同じ高校の男子生徒、だけではありません。地元のミスコンテストを主催している自分の母親の価値観もまた戦うべき相手なのです。かつてミスコンで優勝したお母さんはシングルマザーとしてウィルを育て、普段は施設で老人介護の仕事をしながら、審査員として、年に一度のコンテストにドレスアップして臨んでいます。ミスコンが誇りであり、大切にしている人です。とはいえ、ウィルの親友で美人のエレンにはミスコンテストへの参加を持ちかけるのに、ウィルには何も言わないのはどうしたわけか。ウィルが一緒に暮らしていたお母さんの姉であるルーシーおばさんは、200キロを超える巨体の持ち主でした。自由な精神を持っていたおばさんのことをウィルは大好きだったのに、病気で亡くなり、ウィルは心の支えを無くした状態です。ミスコンテストに出ても恥ずかしい思いをするだけ、とお母さんに思われている自分。自分自身もまた人の目を気にしていることに気づいてしまったウィルは、逆にミスコンテストに参加することを選びます。そこに同じ学校の、容姿にやや難がある子たちも集まってきて、ミスコンテストに革命を起こすことになる企てが始まります。とはいえ、ここが非常に繊細なところで、当人たちは、特別な存在として革命を起こしたいわけではないのです。かといって、ダイエット大成功でキレイになって大逆転というタイプの物語でもなく「♪ありのままの(以下略)」至上主義でもない。この複雑さこそが「コンプレックス」なのだと実感できるかと思います。

「ミスコンテストに出るような子」ではないと決めるのは誰なのか。そんな命題が読者にも突きつけられます。亡くなったルーシーおばさんのコネクションでゲイバーのドラァグクイーンの力を借りたり、なんだかんだでお母さんや友人たちもそれぞれ協力してくれたりと周囲も変わっていきます。それでもどこか、この物語には主人公のウィルの腰の据わらない逡巡があって、物語が一直線に進まないところもまた新機軸です。革命家であるよりも一個人として幸せである方が良いし、社会の見方を変えるより、自分の体型を変える方が簡単です。美の基準も、生き方として尊さも一律ではなく、いっそのこと、価値観がユニークであれば、それで幸せに過ごせるわけです。ミスコンなんてどうでもいいと心から思えればそれで良し。人からどう思われようと構わないなら、それもまた良し。とはいえ、人に承認されたいという欲求が、やはり人間にはある。ここはやはり狂おしいところですね。ところで、ウィルはカントリー歌手のドリー・パートンのファンで、その生き方をリスペクトしているのですが、彼女の『ジョリーン』という曲が物語の中で重要な役割を果たします。オリビア・ニュートンジョンのカバーの方が有名かなと思っていたのですが、ネットで調べたらオリビアのこの曲がシングルカットされたのは日本だけだそうです。へえ、という程度の話ですが、そうしたことも含めて文化の翻訳って難しいなと思うのです。