明日死ぬ僕と100年後の君

出 版 社: スターツ出版

著     者: 夏木エル

発 行 年: 2019年08月

明日死ぬ僕と100年後の君  紹介と感想>

死ぬのは怖いけれど、長生きしたいかというと微妙なところだなと考えるのが、一般的な感覚かも知れません。これは幸せに長寿を満喫できない現代社会の在り方に問題があるのやも知れず、人間にとってのウエルビーイングついて考えさせられます。歳をとりたくないのは、やはり自分でもままならなくなることが多いからです。身体の自由が利かなくなって、人の世話にならなければならない。介護は、自分目線から考えても、家族目線で考えても、難しい問題です。本書は、思春期のティーンに多く読まれているスターツ出版のケータイ小説系物語の一冊ですが、この問題の本質を掘り下げていきます。主人公の高校二年生の女子、いくるは、母、祖母、曽祖母と女性ばかりの四世代で暮らしています。曽祖母は百十歳。これも相当な長寿ですが、親族には百十七歳まで生きた人もいる長命の家系なのです。ただ女子は長命なのに、男子は早逝します。いくるも早くに父親を亡くしており、この家の男子は精気を奪われるのだと良からぬ噂を立てられることもありましたが、単なる言いがかりです。目下、いくるは、自分は長生きしたいと思っていません。看護士として忙しく働いている母親と、家事一切をとりしきり、曽祖母の介護をする祖母。二人は言い争うことが多く、互いを傷つけるばかりで労わりあうことができません。認知症もある曽祖母は、何もわからないまま邪気もなく過ごしていますが、ケアには手間がかかります。かといって施設に曽祖母を入れることを祖母は拒み、余裕のない生活がより家族の関係を悪化させます。いくるは長く生きることの哀しみを感じ、人生に希望を持てなくなっています。いくるは十七歳の自分が、あと百年も生きるかも知れない未来に震撼します。しかし、ここを基点に始まる物語はその終わりに、いくるに生きることの意味を体感させ、その未来を照らしていきます。これが実に見事な展開なのです。生きることの哀しみを悦びにかえていく、この難しいテーマへの真摯なアプローチにスターツ出版系作品の可能性を感じるところです。

ずっと保留していた提出期限オーバーの進路希望書に、ようやく「就職」と一言だけ書いて提出した、高校二年生の女子、大崎生(いくる)。家族のことで心を傷めている彼女は、このまま続いていく自分の長い人生や、その将来に希望が持てず、生きる気力を失っていました。担任教師は、そんな、いくるの態度をふざけていると見なして、罰として、ボランティア部の活動に一ヶ月参加することを命じます。ボランティア部の部長の有馬夕星(ゆうせい)は、いくると同学年の男子ですが、そのボランティアへの積極的な姿勢や人に見返りを求めない奉仕の精神から「ボランティア部の聖人」と呼ばれている学校内でも有名な少年でした。いくるは、有馬の前で、この先やりたいこともないし、将来なんかどうでもいいと言ったために、嫌われたと感じます。それでもボランティア活動に参加し、有馬と行動を共にしているうちに、有馬はただ真面目な聖人なのではなく、実は秘密があるということを、いくるは知ってしまいます。中学生の時に遭遇した交通事故で両親と弟を一度に失った有馬。助かったことは、あらかじめ決まっていた寿命ながら、死神の手違いで一度、死んでしまった有馬は、そこからは毎日、他人から一日分の寿命を奪って生きなければならなくなっていたのです。その行為に罪悪感を覚えている有馬は、ボランティアで感謝してくれた相手から、一日分の命を奪うことを自分への報酬とすることで心のバランスをとっていました。有馬と一緒にボランティア活動をしながら、その苦衷を知り、次第に惹かれていく、いくる。ところが、有馬が若い母娘の荷物を拾って渡した際に、感謝する母親から奪った命が、彼女の最期の一日だったために、有馬は大いに苦しむことになります。何故、人は生き続けるのか。生きる希望を失っている少女と、毎日、人の一日分命を奪い自分の命を明日に繋いでいかなければならない少年。この物語の帰結と、そこで語られる希望には、生きることを力強く励まされます。

いくるの考え方が次第に変わっていくあたり、展開の巧さがあります。人との対話によって、それが熟成されて、深まっていく辺りは読ませます。当初から、いくるは全てを諦めていたわけではないのです。有馬という少年はただの偽善者なのか。それとも自分には見えない世界が見えているのか。嬉々としてボランティアに勤しむ少年は、特別な志を持っている。それは彼が大切にされて育ったために、人を大切にできるのではないか。いくるは、家族から大切にされていない自分と引き比べ、善行を施せる有馬の豊かな人生を羨みます。ところが、次第に有馬の正体がわかってきます。大切な家族を事故で失い、一人で取り残され、人の命を一日分とはいえ奪わなければならない有馬。病院の院長である祖父はいるものの、もともと養子であり、血のつながらない自分だけが生き残ったことの後ろめたさ。いくるは有馬が自分の心の言い訳のためにボランティアをやっていることに落胆しつつ、それでも、聖人ならぬ有馬の人間らしさにも安堵します。ボランティアに行く先の介護施設の人たちなど、人に奉仕する人の真意や根幹にあるものを、いくるは考え続けます。そこには、人が幸福にその生を全うできるためには何が必要なのかという問いかけも生まれます。そして、自分自身が人生に希望を失っている理由にも、いくるは到達することになります。曽祖母の死を迎えて、祖母の想いや、母親の思いに正面から向き合った、いくるは、自分もまた家族から大切にされている存在であることを知り、今度は誰かを大切にすることを希望に変えていこうとするのです。人の命を奪わなければ明日死ぬ有馬に、自分の長過ぎる寿命を分け与えようと考える、いくる。人がその命を全うするために、幸福に歳をとるにはどんな場所が有れば良いのか。人が人を大切にし、大切にされる世界の理想を未来に結ぼうとする、いくるの心の成長が見事に描き出される物語です。