六月のリレー

出 版 社: 偕成社 

著     者: 伊沢由美子

発 行 年: 2009年06月


六月のリレー  紹介と感想 >
会社員が仕事を家庭に持ち込んではならないように、家庭の事情を教室に持ち込まないというのは中学生の暗黙のルールです。プライベートなことは声高に語るものではないし、隠しておくべきことです。とはいえ、「アイツの両親は離婚したみたい」なんてことは垣間見えてしまうものだし、行動や言動の変化が家庭事情に理由があることは往々にしてあるものと思います。この物語では、中学二年生の男子女子五人のそれぞれの「事情」が、最終場面の六月の体育祭の男女混合リレーでスパークします。どうして、おとなしくてまじめな葉が、校則違反のお化粧をしてノーブラで走ったのか。なんで、ひろしは、突然、髪の毛をオレンジ色に染めてきたのか。足の速いユキは、何故、この場所にいないのか。それぞれの「事情」がクライマックスのリレーの場面で、不思議な発露を見せます。同級生たちの不可解な行動について、お互いにその理由はわかりません。でも、それぞれの心は、どこかで響き合っている。ここには言外の共鳴があります。すべての事情を知る読者は、その空間に立ち会いながら、なんとも言えない気分になります。多くが語られないままに感じとらされる、それぞれの心の波動。何も解決されることはないままに終わる物語の余韻に、是非、浸って欲しいと思います。

昨年の体育祭のリレーでトップをとりながら、最後に失格になってしまった一年D組。同じクラスのまま二年生に進級した彼らに、また体育祭の六月が巡ってきました。しかし、今年のリレーは、去年のようには足並みが揃っていないのです。雪辱を果たそうと思っている准もいれば、足が速いわけでもないのに選手に立候補した葉もいます。不揃いなメンバーたち、それぞれの気持が揃わないまま、体育祭当日は迫ってきています。一方、物語は、学校では語られない生徒たちのそれぞれの事情を語っていきます。どんどんワルくなっていく兄に複雑な気持ちをいただいている葉。認知症で徘徊する祖母から目が離せないユキ。父親の再婚相手と、新しい弟を受け入れられない楷。両親がおらず施設で暮らしているひろしは、弟分を助けるためワルい連中とある取引をします。さまざまな思いが引き絞られて、体育祭のリレーに焦点が結ばれていく。友情、努力、勝利の方程式だけでは語ることができない、繊細な思春期の心のありように胸がいっぱいになる作品です。

服装の乱れが、心の鏡であるとしたら、それもまた静かなSOSかも知れません。気がつくと制服のズボンが腰ばきになって、眉毛は極端に細くなっていく。それはファッションセンスの変化だけのことなのか。実際、小学生時代には、明るくひょうきんだった子が、中学生時代は、手のつけられない子になってしまうようなケースを目にすることもあります。中学入学から一年経って、二年生となる頃の微妙な空気感というのは覚えのあるところです。寡黙なSOSが鳴り響く教室の中で、お互いに関心をもちあわない子どもたちにも、共存関係がある。理解して欲しいわけでも、理解しようとしているわけでもない。それでもどこかに同じ時間を生きている仲間としての共鳴はある。『六月のリレー』は同級生たちへの視線や、距離感が絶妙な作品でした。伊沢由美子さんの作品では、商店街の福引に入れあげる少年の物語『走りぬけて、風』が人気がありますが、個人的には『ことしの秋』という作品が好きです。中学生の微妙なメンタルを描くタッチがいいんですね。この『六月のリレー』も同じ良さあって、うっとりします。伊沢由美子さんの待ちかねていた久々の高学年向け作品は期待どおりでした(この文章、刊行された頃に書いたものです)。いいなあ、この感じ。