星と少年

出 版 社: 講談社

著     者: 那須田稔

発 行 年: 1969年


星と少年  紹介と感想 >
田舎の漁村にできた新しい競艇場。漁師たちは魚が採れなくなり、さらにギャンブルにはまって借金を重ねていました。身を持ち崩し、中には蒸発してしまった漁師もいます。漁村の子どもたちは、村をこんなにしてしまった競艇場に憎しみを募らせ、夜襲をかけようと計画していました。子どもたちのその計画は頓挫し、失敗に終わってしまいますが、なぜか競艇用のモーターボートのスクリューが折り曲げられていて、競技中に大きな事故が起こってしまいます。村の子どもたちは、自分たちが犯人にされてしまうことを恐れます。本当の犯人はいったい誰なのか。一方、この漁村に、東京から一年前にひっこしてきた競艇場の創立者の息子である達也は、地元の子どもたちと馴染めないまま、孤独のうちに過ごしていました。唯一の楽しみは望遠鏡で彗星を探すこと。でも、その望遠鏡さえも漁村の子どもたちとのトラブルから破壊されてしまい、寂しさを募らせています。漁村の子たちは、自分たちのことを事件の犯人だと達也が疑っていると思い、達也を捕えてひどい目にあわせますが、やがて一緒に事件の犯人を秘密裏に知ったことで、互いのことを見直すようになっていきます。達也と漁村の子どもたちは協力して、事件の真実を告発することを考えますが、それは、この地域から漁村を立ち退かせて、もっと大規模な観光地化を推進しようとしている達也の父の陰謀を暴くことにつながっていくのです。

なかなかハードなお話です。漁村の大人たちは、この田舎に進出してきた競艇場のために困窮し、その影響下にいる子どもたちもまた苦しんでいます。憎むべきは都会から来た大資本。しかし、経済力を持ち、裕福な暮らしをしているはずの達也の周囲の大人たちもまた、ただ平穏な世界にいるわけではありません。現在はベテランの競艇選手になっている杉本選手は、かつて少年航空兵に志願し、第二次大戦で乗っていた戦闘機が墜落し、片足を失っていました。戦後、当時の上官であった達也の父と一緒に鉄くず回収業の商売を始めて成功し、そこからやっと今のポジションを得たのです。実業家としての才覚があった達也の父は、より事業を大きくしていこうと考えていますが、そのためには手段を選らばず、非合法なことまでも画策しています。杉本選手は、部下として達也の父に加担しながらも、そのやり方に良心の呵責を覚えるようになっていました。大人たちもまた過酷な戦後を生き抜いてここにいます。それでも、悪いことは悪いのです。子どもたちは、是を是として、正義を貫いていこうとしていきます。単行本の表紙は、海と星空をバックにして、達也に天狗の面をつけた一団が迫る物語のクライマックの光景が描かれています。その意味するところはなにか。これは「星と少年」というタイトルがイメージさせるような抒情的な作品ではなく、社会悪を意識した怒りと闘争の物語なのです。

背景を考えはじめると複雑な気持ちになってしまうのは、大人の事情を汲んでしまう大人読者の悪いところかも知れません。この本の刊行当時、働きざかりだった大人たちのほとんどが戦争を経験していた年代であり、いまだに数多くの人たちが、その傷を引きずっていたのだと思います。戦後の倫理感で育った子どもたちも、廃墟の中から経済的繁栄を作り上げた大人たちに対して、それなりの敬意を示していたのではないかと思うのです。それでも、正義は貫かれなければならない。あとがきの中で作者は、当時、公営ギャンブルについて一人の子どもが都知事に対して発言したことが政策に影響を与えたというエピソードを引き合いに出し、子どもたちの発言の力を礼賛しています。実際のところ、ギャンブル関係に従事している大人も沢山いるし、その家族である子どもたちもいるわけで、全方位気配りの現在では、物語の中で仮想敵としてギャンブル自体をやり玉にあげることは難しいと思います(「パチンコなんてなくなっちゃえばいいのに」とか、イージーには言えないんですね)。それでも作者は、大人の社会に対する子どもたちの正義感に期待を寄せて、子どもの成長こそが日本の成長につながるのだと訴えます。美しい地球を作るために一緒に考えていこう、というストレートな願いが前面に押し出された物語。襟を正し続けることを真摯に訴えられた時代ならではのものだったのか、あるいはこれこそが児童文学の使命として考えられていたものだったのか。毅然と胸を張り、戦う児童文学の時代の端緒がここに見られます。