キリエル

Repssessed.

出 版 社: あかね書房

著      者: A.M.ジェンキンス

翻 訳 者: 宮坂宏美

発 行 年: 2012年03月


<  キリエル  紹介と感想>
悪魔(デビル)が人間の姿を借りて地上界で生活するお話、といえば『デビルマン』が有名ですね。その基本的なルールは「知っちゃいけない、知られちゃいけない」です。つまり、他の人間には気づかれてはいけないということ。天使、悪魔、魔女など、天界や魔界にいるべき(たいていは半人前の)存在が下界にやってきて、人間に気づかれないように何かを成し遂げるという物語は、「二級天使」モノと言われ、多くのバリエーションが存在します(昔の魔女っ子モノもこのパターンです)。この物語で、地上に降臨したのは、堕天使であるキリエルです。彼は交通事故で死に瀕した少年の身体を借りて、誰にも気づかれないように入れ替わりました。通常、地上に降りたったのが天使なら、最初に出会った人間を幸福にするとか、悪魔なら、不幸のどん底におとしいれるなどの課題を課されているものですが、キリエルの場合、地獄での仕事にうんざりして職場放棄をしたサボタージュですから、そんな課題はありません。ただ、地上での生活を目いっぱい楽しむつもりだったのです。つかまって罰を受けたとしても、どうせ地獄送りになるだけで、結局は前となんら変わらないのです。だったら、連れ戻されるまでのつかの間の休日に、人間の感覚を味わいつくしてみようとキリエルは考えます。キリエルが入れ替わったのは、アメリカ郊外の中流家庭のごく普通の少年であるショーン。彼の身体を奪い取って、人間の姿になったキリエルは、その「体感」に驚きます。身体を動かすこと、食物を味わうこと、そのささいなひとつひとつに衝撃を受けます。そこには新鮮な喜びがありました。キリエルの念願はこの身体を使って七つの大罪を体感することです。とくに性欲を満たしてみたい。とはいえ、人間としてのショーンは、けっしてモテるタイプではありません。限られた時間の中で、果たして、キリエルは望みをかなえることができるのでしょうか。

「罪人」である亡者たちを見続けてきたキリエルには、卓越した観察眼があります。キリエルは人間たちを冷静に観察し、フラットに評価することができます。ティーンエイジャーが陥りがちな、人を色眼鏡で見て、見下すようなマネはしません。照れたり、すねたりして、素直になれない態度の微妙さも、すべてお見通しです。なにかと悪態をつき、友だちもいない、ひねくれたショーンの弟ジェイソンの気持ちにもキリエルは寄りそうことができます。無論、ジェイソンは兄の変化をいぶかしく思うのですが。キリエルの、やたらと人を好きになってしまう性格も魅力的なのです。キリエルの目を通すと、ごくあたり前で平凡だと思うようなものでも、輝きを放ちます。キリエルがケチャップやシリアルを気に入ってしまうのも、なんだか面白いんですよね。何を食べても、その美味しさを語らないどころか、ろくに感じなくなってしまいがちなのが僕たちの日常です。なんでも、あたり前に思ってしまう人間の生活が、逆におかしいのではないかと、沢山の気づきを与えられます。とはいえ、ごく普通の少年だったショーンが、そんな「変な人」になってしまったことで、当然のことながら周囲は戸惑います。そこに非常に面白いドラマが生まれていくのです。

よくある題材でありがなら、凡庸やベタにならず、実に素敵な作品に仕上がっています。キリエルには堕天使からイメージされるような、享楽的なイメージも厭世感もありません。破滅的でもなく、真摯で考え深いところもあります。彼が魅力的なのは、その心にちょっとした闇があるからかも知れません。特筆すべきは、その「心の渇き」です。もともとキリエルには実体があるわけではなく、地獄でも、ただ亡者がもがき苦しむことを監視しているだけの、誰にもなんら影響を与えられない存在でした。そして今、自分が地獄からいなくなったことに、誰からも気にされないのではないかと気になっています。仕事をサボっていることがバレるのを心配しながらも、どこかで誰かに気づいて欲しい、という気持ちに焦がれています。誰にも影響を与えられず、誰からも気にされない。かといって、神を賛美するだけの天使にもなりきれない。どこぞの思春期のような青いメンタルをキリエルはもてあましています。一方で、長い人間の歴史をつぶさに見てきたキリエルは、なんでも「知りすぎて」います。でも、実際には「なにもやったことがない」のです。だからこそ、キリエルは人間でいられる、このチャンスを生かして、ためらわずにチャレンジしていきます。そのあたりの思い切りの良さがすごくいいんですね。実際の思春期はチャレンジに失敗して傷つくことを怖れるものです。頭でっかちになればなるほど、動けなくなってしまうものです。思春期を逆照射する視点がここにあって、色々と考えさせられる作品です。ともかく面白いのでお勧めです。

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