出 版 社: あすなろ書房 著 者: 那須田淳 発 行 年: 2013年11月 |
< 星空ロック 紹介と感想>
十年前のことを「最近」と感じるようになっているのは加齢のせいかと思います。二十年前でもわりと近い記憶になりつつあるので、このペースでいくと、半世紀ぐらい前のこともハッキリと覚えている将来が予想されます。物忘れがひどくなることを憂う一方で、記憶が消えないということには恐怖を感じるのです。願いとしては、時間の経過によって、もうすこし記憶が「柔らかく」ならないものかと。心に痛い尖った記憶も、時間が経つことで丸くなって欲しい。できれば穏やかに忘れてしまいたい。さもないと、歳をとるごとに増していく後悔の蓄積に押し潰されてしまう気がするのです。概して、嫌なことばかり覚えている。そんな自分なので、七十年モノの後悔を抱えていた九十歳の「友人」から、その思いを主人公が託される、というこの物語の冒頭には、やや恐怖を感じてしまいました。とはいえ、痛みを孕んだ「大切な思い出」もあるものです。そんな思い出ともに長い人生を生きてきた老人。吝嗇家と言われ、ケチルと呼ばれていた男性は、自分が家主であるアパートに住む中学生の少年、レオと親しくなります。音楽を通じて親しくなった二人は年齢を越えて、友人になったのです。とはいえ九十歳の高齢の男性と少年の時間が重なるのはごく僅か。老人の終わりの時間が迫る時、少年に託されたのは、一枚のSPレコードでした。それは、音楽とともにあった人生のバトンを少年が渡された瞬間でもあったのです。辛くもあるけれど、ずっと忘れないことも悪くない。そんな気持ちを抱かせるロマンがここにあります。
チェコに単身赴任中の父親を夏休みに母親と一緒に訪ねる予定が、思わぬアクシンデントから、一人で旅立つことになったレオ。両親と合流する前に、自分だけ従姉妹の留学先のベルリンに行き、数日間滞在することになったのです。レオがベルリンに行くことを知ったケチルは、自分が戦前にベルリンに留学していた頃の思い出を語ります。そして、当時、出入りしていた楽器工房があるかどうかを確かめて欲しいとレオに頼みます。ケチルはその工房の娘にSPレコードを渡す約束があったものの果たせず、連絡もつけられないまま、ずっと気にかけ続けていたのです。ベルリンへの出発を前にケチルは病気で亡くなり、その想いを受け継いでレオは旅立ちます。初めての海外旅行の上、ひとり旅。空港で戸惑うレオの前に現れた強引な少年ユリアンは、ピアノのコンクールのために来日し、ベルリンへの帰路だと言います。一緒にベルリンに向かうことになった彼が声をかけてきたのは、実はレオの従姉妹の差金でした。こうして同い年のユリアンとともに、レオのベルリン生活がスタートします。ユリアンの義理の兄妹であるリサとも知り合い、ベルリンの子どもたちの生活感に触れながら、ケチルから託された願いを果たすため楽器工房を探すレオの初めての海外生活。そこでベルリンの過去からの歴史と、現代の考え方を感じとっていきます。どちらかと言えばネガティブな少年だったレオが、ベルリンでの出会いや発見を通じて、自分自身の殻を破っていく、さわやかな物語です。
国内児童文学には子どもたちの海外体験を描く作品が数多くあります。カルチャーギャップに子どもたちが驚く姿が面白かったり、日本人としてということを越えて、自分自身のアイデンティティを見つめなおしていくあたりが興味深いところです。那須田淳さんの作品では『ペーターという名のオオカミ』でも東西ドイツ分裂時の歴史と現在を、少年たちの成長と合わせて見せてもらえましたが、本書もまた新しい発見のある作品でした。何よりも物語が音楽に満ちているのが素敵です。ゆずってもらったセミアコのエレキギターの練習場所を探していた大人しい少年レオに、自分の「隠れ家」をタダで提供してくれたアパートの大家さんであるケチル。彼もまた音楽に対して思い入れがあり、年少の友人となったレオに多くの音楽の話を教えます。留学先のベルリンで(平均律ではない)純正調のオルガンの再現計画を試みたことや、その原点となる十九世紀にドイツで活躍した音響学者、田中正平のことなど、物語に盛り込まれるエピソードが非常に興味深いのです。登場する曲名やミュージシャンなどの固有名詞もまた。レオは最後にベルリンでリサのバンド演奏に参加することになります。今更ながら音楽に国境がないことやグローバルさを思い知るところです。レオはケチルを知る人とベルリンで出会い、その思いを届けます。そして万感の思いを込めて、クライマックスの音楽フェスのステージでケチルとの思い出の曲をギターで奏でるのです。いや、これ「初めての海外旅行」としてはよくばり過ぎじゃないかなと思うんだけれど、そんな素敵な海外体験もまた良しの、ロマン溢れる物語でしたね。