出 版 社: 一二三書房 著 者: 丸井とまと 発 行 年: 2020年06月 |
< 檸檬喫茶のあやかし処方箋 紹介と感想>
人には視えないものが見えてしまう。それが霊や妖の類となると、あたりまえに考えて日常生活は困難を極めます。無論、それが物語となれば俄然として面白い題材となり、特に「思春期に視えること」の意味ともたらされるものは大きいと思います。SF作品では、霊の視える少年を主人公にしたクーンツの『オッド・トーマス』シリーズが、YA的要素も感じられる成長物語として秀逸でした。児童文学作品にも沢山そうした作品があります。視えていること自体に特別な心因があり、思春期の不安定感が見せていた幻影であるという帰結があったり、視えることに自分の存在意義を重ねていたりと、その心模様は様々です。あるいは『妖怪アパートの幽雅な日常』のように、霊や妖との関わりを通じて、自分が人間としてどう生きていくか、考えを深めていく物語もあります。いずれにせよ、色々なアプローチができる魅力的な題材であることは確かです。本書もまた、妖(あやかし)が「視えてしまう」高校一年生の女の子を主人公にした物語です。ライトノベルですが、主人公の葛藤には思春期小説として、かなり読ませるものがあり、どこか生硬でぎこちなく、偏った作品であるがゆえに、その個性に惹かれました。ネガティブだった主人公が、それでも少し未来に希望を抱けるようになる展開を見守りながら、彼女の世界が明るくなることになんだか嬉しくなってしまう。そんな愛着を持てる作品です。ボーイミーツガール大賞受賞作。なんともパワーのある名前のアワードです。
自分の「視える」体質のために、両親に忌避され、祖母の元に預けられて育った紅花。小学校、中学校とそのことを隠しながらも、自ずとその気配を感じとられてしまい、魔女と呼ばれ、いじめを受けることもありました。自分に妖(あやかし)が視えるだけでなく、手に触れられると、その人にも同じものを見せてしまい、余計、気味悪く思われる。そんな失意の連続に、もはや自分が普通に人と関わることを諦めていた紅花は、高校に入学しても、なるべく目立たないように過ごしていました。それなのに、クラスの中心のグループにいる人気のある男子、八城がなにかと声をかけてくるのです。これでは逆に目立ってしまうと、八城の真意を問いただしたところ、彼は紅花はの「視える」という噂を聞いていて、頼みごとがあるというのです。八城と一緒のところを妖に襲われた紅花は、思わず八城の手をつかみ、彼にも妖を見せてしまいます。ところが八城は紅花を気味悪いと思うどころか、興味を持ち、むしろ友だちとして紅花を支えようとしてくれるのです。人を信じられない紅花は戸惑いながらも、少しづつ八城の厚意を受け止めていきます。いくつかの事件を一緒に乗り越えるうちに、次第に自分の力を人の役に立てたいと思うようになっていく紅花の、そんな心境の変化を、ずっと見守っていたくなる成長物語です。
非常に生真面目な作品です。時代感覚もどこか現代を超越したところがあって、過去なのか、未来なのかもわからないところがあります。現代のはずですが、昭和だと言われれば、そう思えるような懐かしさもあります。登場人物である若者たちのメンタリティも非常に真摯で、背筋の伸びた真面目さがあり、軽さがないところも好感が持てます。何よりも、やや過剰な繊細さと優しさが魅力です。妖(あやかし)たちは狂暴で見境いなく襲いかかってくるような恐ろしさもあるのですが、一方で人間以上に繊細で、限りない優しさを持った存在として描かれています。自分の命そのものである妖力を人間に分け与えることも辞さない姿勢や、一途に誰かを思いやるその激しい気持ちに、人間以上の尊さを見せつけられるのです。物語は、やはり妖を見ることができる紅花の祖母が営む喫茶店「檸檬喫茶」と、そこに生息する傷ついた妖を癒す力のある檸檬を中心に回っていきます。妖もまた傷つきます。身体だけではなく、心にも深い傷を抱いていることもあるのです。傷ついた妖をケアしながら、紅花は純粋に誰かを思いやる気持ちを汲み取っていきます。そして自分が人間として、どう生きていくべきかを考えていく。そんな実に生真面目で清廉な物語でした。自分に自信のない女の子が、我知らずカッコ良くて真摯な少年に恋愛未満の好意を持たれていて、なんて、そんなもどかしさと心憎い感覚を持った面映さもある物語です。ややベタなところや、「趣味」や言葉選びに見憶えがあって、あれこれ過去の物語を想起させられるところもあるのですが、力一杯気持ちが込められた物語に、実に爽やかなものを感じました。シリーズになるのかな。成長していく紅花を見たいと思わせる余韻があります。