戦場のオレンジ

ORANGES IN NO MAN’S LAND.

出 版 社: 評論社

著     者: エリザベス・レアード

翻 訳 者: 石谷向子

発 行 年: 2014年04月

戦場のオレンジ  紹介と感想>

パレスチナ問題は、イスラエルとパレスチナの紛争だけではなく、シリアやレバノンなどの中東国家にも影響を与えています。レバノンではパレスチナ難民の流入によって、宗教・宗派間のバランスが崩れ、大きな力を持つ勢力同士の争いが巻き起こります。1975年から始まった内戦はその後も十年以上続き、多くの一般市民の犠牲を出しました。ベイルートではパレスチナ難民の多い西ベイルートと別の宗派の東ベイルートが、グリーン・ラインという軍事境界線で分断されます。しかし、一般市民の中にはこの境界線を越えなければならない人もおり、紛争に巻き込まれ、生命の危険にさらされることもあったそうです。本書は、その当時のベイルートを舞台に、危険を顧みず、その境界線を越えて、敵地に侵入した十歳の少女の物語です。それは胸躍る冒険譚というわけではない、過酷な「はじめてのおつかい」です。どうしても、敵地にある病院に行って、薬を入手しなければならなかったのです。街は爆撃や砲撃によって破壊され、いたるところで兵士が目を光らせています。そんな状況で、もちろん兵士に見咎められ、捕まった少女はどうその窮地を切り抜けたか。内戦時代のベイルートで子ども時代を過ごした作者による、歴史の記録には残されていない、子ども目線による失意と恐怖の記憶を体感することのできる物語です。タイムリミットが迫る中、この「おつかい」を果たそうとする少女の焦燥感と敵地に潜入する緊迫感にギュッと身体が硬直し続けるような読書時間を是非、体験ください。訳者解説によると、本書はイギリスの学校で生徒たちの投票によって選ばれるハル児童文学賞を受賞したそうです。現代の日本の子どもたちからも支持を得られる物語だと思います。

レバノンの首都ベイルートの他国の侵攻から逃げてきた人たちが暮らす貧しい地域に十歳のアイーシャも家族とともに住んでいました。南の田園地帯に暮らしていた頃は農業を営んでいたものの、ここでは仕事がなく、父親は一人、外国に仕事を探しに行ってしまい、アイーシャは母や祖母、まだ幼い弟たちと心細くここで生活しています。ところが内戦が勃発し、家のまわりも爆撃され、家族はとるものもとりあえずここを逃げ出します。そのさなか、母親は砲撃に巻き込まれて亡くなり、残された家族は、二日間さまよい歩いた後、なんとか居住できる場所を見つけ出します。打ち捨てられた廃墟に人々が集まって暮しているコミュニティがあり、親切なザイナブおばさんによって救われ、ここにすめるようになったのです。避難民に支給される支援物資に頼って、なんとか暮らしを続けることができましたが、次第に祖母の身体の具合が悪くなっていることにアイーシャは気づきます。家から持ってきた薬が切れてしまい、この辺では入手できない状況なのです。祖母は以前にベイルートのダウンタウンで医師のライラ先生の家の清掃の仕事をしており、先生に薬を譲ってもらっていました。ついに寝込んでしまった祖母が、いつ死んでしまうかと、アイーシャは心配を募らせます。ここでアイーシャは、薬をもらいにライラ先生の元に行こうと決意します。そのためには、軍事境界線であるグリーン・ラインを越えて、自分たちイスラム教シーア派の対抗勢力が制圧する地域に住むライラ先生の家を訪ねなければなりません。西ベイルートから東ベイルートへ。こうして、アイーシャの危険で過酷な挑戦が始まります。敵側の兵士たちに見つかった際には、ザイナブおばさんの耳の聞こえない娘で親友のサマルのフリをして、なんとか窮地を脱したりと、ピンチを乗り越えて、なんとか先生の家にたどり着きますが、ここからも危機的な状況は続きます。果たして、祖母の命が尽きる前に薬を持って帰ることができるのか。究極の状況下で十歳の少女が繰り広げる、胸の躍ることのない、むしろ、胸が潰れるような冒険譚です。

爆撃によって破壊された町には、チャックポイントと呼ばれる軍事境拠点があり、民兵が警護をしています。アイーシャには彼らが自分たちと同じイスラム教シーア派かどうか見極める必要もありました。意外にも親しくしてくれる味方の民兵にアイーシャは驚きます。彼らにもまた自分の子どもたちがおり、家族を守るために戦っているのです。それは恐らく「敵兵」も同じなのでしょう。アフガニスタンの紛争下の状況を描いた『生きのびるために』(デボラ・エリス)では主人公の少女が、残酷だと思っていたタリバン兵の素顔を知り、驚く場面があります。一方で、相手が子どもであってもスパイや工作員である可能性を兵士は看過しないものです。厳しくアイーシャを問い詰めることも、敵兵としては自分たちの責務だと思っています。善悪の二元論で語れないのが戦争の実情です。戦争自体は悪ですが、敵とされる人たちが悪人というわけではありません。心やさしい普通の人たちもいるのです。アイーシャは多くの人たちの温情のおかげで、無事、窮地を脱して祖母の元に薬を届けることができます。ここには、人間の善意が輝いてもいます。政治や宗教や利権など多くの障害によって民族や国家が敵対し争う中で、婿の人々元が犠牲になり、翻弄されます。憎むべきは人ではなく、戦争です。もちろん、戦争をやめられない人間の業もまた糺されるべきです。児童文学は、人間には善意があるのだということを強く訴え続けます。その希望を胸に灯しながら、この世界をどう捉え、自分はどう生きるか、一人ひとりの子どもたちの決意を促す物語だと思います。