海辺の王国

The kingdom by the sea.

出 版 社: 徳間書店

著     者: ロバート・ウェストール

翻 訳 者: 坂崎麻子

発 行 年: 1994年06月


海辺の王国  紹介と感想 >
読んだあとの「苦味」が魅力のウェストールです。ビールやゴーヤのように「苦い」ものをおいしいと思うのは、大人の味覚だと思うのですが、ウェストールが日本のファンに歓迎されたのは、「甘い」よりも「甘くない」を褒め言葉として使う日本人の価値観に合っていたからではないかとも考えます。子どもたちの評価はわかりませんが、ちょっとおませな子なら、この味わいがクセになるのかも知れません。一時期、カカオの含有量を表示したチョコレートがブームになっていましたが、90%を超えると、さすがに苦すぎました。甘さと苦さのほど良いバランスが大事、とは思うものの、いや、ウェストールの作品は「お菓子」ではなく、血肉を作る「食事」なのだと、心をガツンガツンと鍛え上げる刀鍛冶のような鋼鉄の読書なのだと思うのです。徳間書店の児童書編集部の方たちの、新天地での「翻訳児童文学」はここを端緒としています。この『海辺の王国』の登場が、当時、児童文学を読む大人読者を大いに唸らせ、多くの称賛を得ていたことはリアルタイムの記憶として残っています。再読、なのですが、ほとんど忘れておりまして、あらためて、作品の強さに打たれた次第です。しかし、苦い。ほろ苦いどころじゃないですね)。

1942年。世界を巻き込んだ戦争はまさに佳境。連夜のドイツ軍による空襲で、防空壕に逃げ込むことは十二歳のハリーにとっても日常茶飯事。ついに、ある日の空襲で、ハリーは、家を焼失し、おそらくはその燃え尽きた瓦礫の下に、両親と妹を見失ってしまいます。いっぺんに家族を失い、戦争孤児となったハリーは、茫然自失しながら、イギリスの北の海辺を、ひとり流れ歩いていきます。やはり家族を失ったのか、どこかの家の飼い犬であったろう野良のシェパードがハリーについてきます。ドンと名づけたその犬を相棒に、海辺を行くハリーは、さて一体、どこへ行けばいいのでしょうか。警察に保護されれば、ドンは処分され、自分もまた、行きたくもない貧しい叔母の家に厄介にならざるをえない。できれば、自由でいたい。とはいえ、リアルな問題として、浮浪児めく子どもが、この過酷な戦時下を生き抜いていくためには、数多くの修羅場をくぐらなければならないのです。ノウハウもハウツーもないところからはじまる、いきなりの孤児生活。立ちふさがるのは、「大人」たち。邪険にされたり、煙たがられたり、自分の無力さを思い知らされながら、ハリーは、沢山の出会いを経験していきます。少しは親切にしてくれる人いるけれど、何分、戦時中の殺伐とした世の中ですから、皆、自分のことで精一杯。そして、時として、意地悪な人もいるのです。子どもと親しくしたい大人がいたとしても、イタズラ目的のホモおじさんだったりする、この世界の現実。いや、もう少し、人間の実相とは曖昧で複雑なもの。ハリーは、少しずつ機知を手に入れ、大人とうまくわたりあい、空腹や、人の悪意や、悲しみを乗り越えていきます。可哀想だなんて思われたくないけれど、「可哀想」を武器にすることだってできるんだ。大人たちもまた、良識がまかり通るとは限らない、このむき出しの世界の中で、やりきれない気持ちで生きています。子どもが大切にされるとは限らない世界の中で、ハリーは、自分が自分らしく生きられる王国を見つけ出すことができるのでしょうか。人生は悲しみに沈むだけのものではなく、希望を胸にあふれさせることもできる。ささやかな善意に助けられたり、偶然に足元を救われたりもする。子どもであることの純心と無垢が、この世界のサバイバーとして自分を強く鍛えあげていく時、どんな軋みを生じるのか。なかなかシンドイのですが、読み応えのある作品であることは確かです。

25人に1人は「良心がない人」がいる、という本もありましたが、最近は、なんだろう、悪意の発動を精神病質に結びつけて考えることが多いですね。以前は、自分本位で他人の気持ちを考えない人を、性格が悪い、とか、根性が曲がっている、と断じたものでしたが、この頃は、アスペルガー症候群だったり、境界例だったり、そうした病理の一部として理解する傾向にあるようです。一過的な病気ならば本復することもあるかも知れませんが、デフォルトの体質ならばしかたがない、というような諦めに似たものがここにはあります。これでは、悪人が「改心」するドラマは生まれない。だって、困った人は存在すけれど、悪人は存在しないのです。それもまた、人間の実相のひとつ。では、ウェストールの作品で言うならば「ブラッカム」のような人を、どう考え、対処したらよいのだろうと思うのです。『海辺の王国』にも、マーマン伍長という危なげな人が出てきます。善悪の彼岸を超えたところにある病質的なものを持った人への対応の難しさ。ましてや、無力な子どもからすれば、こうした人たちといかにうまく渡りあえるかが生死をわけてしまう。親切や慈愛は良し。それが施される物語も良し。一方で、戦争や空襲や空腹、そして美しくもない惨めで、不条理な死があり、世界に満ちた「改心されることのない」病質的な悪意もまたある。漂流や遭難などの奇禍からサバイバルする物語のように、ハリーは、この世界に「ひとりぼっちの不時着」をしたのです。それは、多くの子どもたちが遭遇している現実でもあります。ウェストールが描く「影」は深く濃く、だからこそ、旅路の果てに王国を見つけようとする希望や、意志のたくましさなどの、生き抜いていく力が明るく輝くのかも知れません。