てるてるあした

出 版 社: 幻冬舎

著     者: 加納朋子

発 行 年: 2005年05月

てるてるあした  紹介と感想>

楽しく、愛しい気持ちにさせてくれる作品です。十五歳の女の子が、ある日突然、びっくりするような窮状に突き落とされて、逃げていった先で、ただ優しいだけではない一筋縄ではいかない周囲の人たちと触れ合いながら、かたくなだった心がほぐされていく成長物語。なんで私がこんな酷い目に、と思っていた気持ちが、沢山の「気づき」によって人の心の機微を知り、どうやって多くの人と関わっていったら良いのかを学んでいく。「不思議な体験」にも遭遇するけれど、むしろ、人と人とのリアルな関わりあいが主人公を変えていきます。何故、自分は素直になれないのか。何故、優しく、美しい気持ちをもった人を好きになれないのか。コンプレックスで捩れた思春期の女の子の心のヨリが、すこしづつ巻き戻されていく。日常ミステリーの加納朋子さんによるこの作品は一般小説ではあるのですが、ヤングアダルト作品として読んでも楽しめる要素に溢れています。

金銭感覚ゼロ、浪費家の子どもじみた両親に育てられた照代。新車を買うことに血道を入れあげる父と、お洋服と宝飾とお友達との贅沢なランチにどっぷりと浸るお姫様のような母。子どもの頃から、両親が豪遊したために給食費が払えずに恥ずかしい思いをすることなどザラの毎日を送っていました。でも、まさか苦労した受験勉強の末、合格した第一志望の高校の入学金も払ってくれていないとは。さらに追い討ちをかけるように、父の多重債務が噴出します。押しかける借金とraから逃れるため、家族会議で決定したことは「それぞれが夜逃げする」ことでした。照代の「逃げ場所」は、母の遠縁の「鈴木加代」さん。会ったこともないし、無論、話も通ってなどいないのです。直接、押しかけていって、愁訴して、居候にしてもらうしかないという十五歳にはなかなかハードな指示がくだされます。しかし、他にどうしようもない。傷心と重い荷物をひきずって、照代が着いたのは佐々良という田舎じみた駅。この町で『まるで西洋の魔女みたいに背が高くて痩せててとんがってて、実際、他人からも魔女なんて陰口を叩かれている』遠い親戚の鈴木加代さんと暮らすことになろうとは。元教師の加代さんは、ビシビシと厳しく、照代を甘えさせてはくれません。自活なさいと言われても・・・・。ここではじまる照代の新しい生活。さて、離れ離れになった両親と再び一緒に暮らせるようになるのか。普通に高校に通える、普通の女の子の暮らしは戻ってくるのでしょうか。

自分が可哀相、ということで精一杯な状態から、だんだんと照代の目は見開かれていきます。佐々良という田舎町に暮らす、それぞれに事情を抱えた女の人たちを見るにつけ、照代は自分の胸を塞いでいるモノがなになのか、はっきりと気づきはじめます。父や母がどんな自分を求めていたか、そればかりを気にしていた自分。容姿が優れていないから可愛がってもらえず、そのため、娘には見向きもせず、美しい母に対しては甘かった父。母は娘など眼中になく、自分の美しさを誇ることだけに夢中。誰からも必要とされないし、選ばれることはないと思っている照代が抱える自分自身への不信。『心が狭くて利己的でコンプレックスの塊で感情的でややこしい人間』である自分は『心優しくてキレイで、誰からも好かれる』人なんか大嫌い。愛されない自分のことで精一杯な状態から、この町で暮らしていくことで、照代は「他人の傷」を理解することを知ります。ぎゅっと下唇を噛み締めて我慢しなければならないようなことが人生にはある。どうにもならないことだってある。壊れてしまったものは、二度と元には戻らない。辛い別れもまた、あるのだ。それだからこそ、生きていくことや、自分から愛していくことは素敵なのだと、オルゴールの堅く巻かれていた螺旋が、ほどけていくように、照代の心には新しく美しい音楽が鳴りはじめます。痛みを受け入れながらも照代が成長していく姿が心地良く、胸に残ります。セーラー服の女の子の後ろ姿の表紙が爽やかで、この物語にはぴったりとはまっておりました。ファンタジー的な色合いが、ちょっと道具立てに使われていますが、佐々良町というこの町は、姉妹編の『ささら、さや』の舞台でもあって、ファンタジー作品であった前作の名残が多少、感じられます。不思議な出来事の辻褄のあわされ方にぎこちなさがあることと、個性的な登場人物たちが多すぎることは、前作を踏まえてのことなのでしかたがないところですが、本作から読んでも、十二分に楽しめる作品です。