出 版 社: ポプラ社 著 者: 嘉成晴香 発 行 年: 2023年05月 |
< 涙の音、聞こえたんですが 紹介と感想>
いつどこでだったかは覚えていないのですが「ここで飲食をしないでください」という貼り紙をトイレの個室で見て衝撃を受けたことがあります。トイレの個室で隠れて食事をする子どもたちがいる、という風聞を得てはいたのですが、そこは大人しか出入りしないような場所であったために驚きはより大きかったかと思います。ついにここまできたのかと。いや、子どもが学校のトイレで食事をしているという状況でさえ自分には想像を越えているのです。昼休みに食事をどこでとるか。その選択肢にトイレの個室があるという事態に驚かされたのは、自分が通っていた頃の公立中学校のトイレには、けっして衛生的なイメージがなかったからです。教室に居場所がなく、トイレで食事をせざるを得ない。それは相当、追い詰められた事情があるのだろうと思っていました。なによりも、そんな選択ができる心理が子どもにとって当たり前になっているとすれば、現代をやや憂いたくなるのです。この物語では、主題ではありませんが、「トイレで食事をする」行為がキーになっています。主人公が通う中学校は給食がなく弁当持参です。中学校の給食実施率は全国で八割を越えているので少数派ではあるのですが(都道府県によって十割近いところもあれば、五割に満たないところもあるそうなので、地域差は大きいですね)、弁当の持つ携帯性と機動力が、人にトイレで食事をすることを可能にしている功罪を考えさせられます(いや、論点はそこではないです)。自分の世代的には、トイレで食事をするという状況は、もはや「人間としての尊厳を問われる」領域にあります。それが、現代(2023年)の中学生にとってはわりとカジュアルに捉えられているのか。いや、彼らもまた、心の奥で涙を流すような気持ちを抱いているのです。そこには相当、惨めな思いがあるはずです。好きでトイレで食事をしているわけではないでしょう。この物語では、この非常に触れにくい題材を児童文学として扱う冒険的な試みがなされています。また、物語は主人公の中学生視点であるため、この事象がいたって近視眼的に捉えられています(社会問題に引き上げられていないところがポイントです)。その時、心にはどんな波紋が広がっているのか。人の心の機微が「聞こえてしまう」特殊能力を持った少女が、人の気持ちにどう寄りそうべきか気づきを得ていく物語です。個人的には、このトイレ食事問題を大局的かつ大仰に扱わないこと自体が興味深く、考えさせられました。そして、この題材を扱いながらも「ピュアなラブストーリー」なのです。このギャップに瞠目すべきです。
中学一年生の女子、美音(みおん)には、人の涙の音が聞くことができる能力があります。母親から一つ年上の兄とともに、この力を受け継いだ美音は、聞くともなく、人が心を動かした時の波動を音として聞いてしまうのです。涙をこらえていても、心の中では音が響いています。ただ、母親のようには、人の細かい感情の機微までを察知することはできず、ただ涙の音を捉えるのに止まっています。それでも人の本音がわかってしまう美音は、逆にうまく友だちづきあいができず、クラスでも孤高をかこっていました。美音は、もっぱらこの力を人の弱味を握るために使っていました。その心の裡まではわからなくても、人知れず泣いていたことを匂わせれば、何かしら心の秘密を握られていると思わせることができるのです。人気者の生徒会長の二年生の男子、高坂健(けん)先輩に「涙の音、聞こえたんですが」と伝えたのも、弱味を握って、お願いを聞いてもらうためでした。それは「教室以外でもお弁当を食べてもいい」と校則を変えられないかという相談です。教室でお弁当を食べることが辛い子がいる。中には隠れてトイレでお弁当を食べている子もいる。その涙の音が聞こえてくるのだと美音は健先輩に告げます。そんな子たちがいることを俄に信じられなかった健先輩でしたが、美音の導きで、その現場を目にします。いつも一人、隠れて泣いているような心優しい健先輩は、トイレで食べている子たちの気持ちを想像するだけで泣いてしまい美音を呆れさせます。こうして健先輩は、誰もが好きな場所で食事ができるように校則を変えるため、美音の力を借りて実情調査を行い、署名運動も始めます。美音の当初の目的は、同じクラスの気になる子が心の中で涙を流しながら、教室で食事をしていることが気になったからでした。ところがどうもその子の事情は違うようなのです。教室でひとりで弁当を食べていても平気な美音。人と距離を置きクールにふるまいながら、それでもどこか人との繋がりを求めていました。孤軍奮闘しはじめた一途な健先輩を斜に眺めながら、泣くことは弱さだと思っていた美音の心にもまた兆していくものがあります。ここから二人の関係が深まっていくあたりが面映く、頬が緩んでしまうところなのです。
自分が傷ついていることを人には気取られたくないものです。中学生だって、顔で笑って心で泣いていることもあるでしょう。それはなけなしのプライドであり、人には踏み込んできて欲しくない場所もあるはずです。気持ちをさらけ出すことは、存外、勇気が必要です。人からどう思われるかが、自分がどうであるかよりも重要な季節です。人前で涙を見せたくはない。同情されるのなんてもっての他です。ということで、健先輩のように、デリケートだけれどデリカシーがなさそうなタイプは大変、危険です。美音もまた孤高をかこちながらも、人とコミュニケートしたい気持ちを抱えています。彼女はこれまで人と距離を置いてきたために、逆に世事に疎いピュアな子なのです。美音はこの物語の中で、泣いている人たちと直接、話を始めます。そこから、狭かった見識が少しずつ広がり始め、人を見る目が変わっていきます。美音のお母さんが、涙の音を繊細に聞き分け、感情の機微を理解できるのは、こうした経験値を積んだからではないかと想像しています。人の心が読めるテレパスにはメリットよりも苦悩の方が多いというのは、火田七瀬の昔から今も変わりません。それでも涙の音を聞くことができるという美音の能力が、彼女を自分の世界に閉じ込めるものではなく、世界を広げるきっかけになるあたりもは爽やかなジュニア小説感を醸し出しています。何を聞き、何をあえて聞き逃すべきか。その匙加減は難しいものです。美音は自分自身の涙の音を聞くことはできません。それでも、彼女が人という存在への理解を深めることで、自分自身に潜めていた感情を発見できるようになるプロセスも鮮やかです。人の心は複雑怪奇で、単純には割り切れません。当初、自分の能力に万能感があった美音が、人の心の深さを知り認識をアップデートして、素直になっていける。そんな善良な物語だと思います。それにしても、「トイレで食事」問題の最適解がわからず途方に暮れています。ましてやそれが大人であったとしたら、どうすべきか。かけるべき声は「ここで飲食をしないでください」じゃないよなと思いながら、人の心の事情にダイブすることのしんどさも感じています。中学生のピュアさが羨ましくもあり、なのですが。