出 版 社: 講談社 著 者: 福田隆浩 発 行 年: 2008年02月 |
< 熱風 紹介と感想>
寡黙でストイックな野武士のような児童文学です。といっても粗野ではなく、地味ながらも凛とした緊張感と清廉さがあるという意味で。あらぶる魂と高潔さを併せ持つ、そんな感じです。主人公の中学生、考司には聴覚障がいがあって、補聴器で辛うじて音が拾える程度の聴力しかなく、言葉もうまく話すことができません。声を出せるけれど、ちゃんとした言葉で相手に伝わっているのかどうかわからない。だから寡黙にならざるを得ないのですが、考司の心は饒舌です。そして、常に、そこにある怒り。耳が聞こえないことで、自分に向けられる嘲りや中傷。健聴者には理解してもらえない、もどかしくままならない気持ち。両親に重い負担をかけていることを感じながら、そうした自分自身に苛立ち、つい反抗的になってしまう。それでも卑屈にならず、心のバランスを保っていられたのは、考司には夢中になっているスポーツ、テニスがあったからです。補聴器をつけていても音が聞こえにくいというハンデ。そして補聴器のコンディションによっては、ほとんど無音の中で、視覚だけをたよりに闘わなくてはならない状態にも追い込まれます。しかし、試合中に間隙を縫って放たれる、考司が得意とするドロップショットには、対戦相手も観客も不意をつかれ、一瞬の無音の空間を作り上げるのです。練習を積みながらも、思うさま勝ちを重ねることができない考司が、テニスクラブで組まされたダブルスのパートナーは、普通の中学校に通っている健聴者の中学生、中山。テニスの技術は自分より上だけれど、不遜な態度で接してくる中山に対して、考司は激しく憤りを感じます。なんで自分が「あんなやつ」と組まなくてはならないのか。ダブルスで重要なコミュニケーションをとることができない二人。それは、言葉をうまく交わせないから、というだけではなく、お互いの気持ちがすれ違っているから。強い反発心を抱きながらも、それでも「勝ち」に強くこだわっていく二人。何故、勝ちたいのか。誰に勝ちたいのか。何に勝ちたいのか。心の重荷を抱えた二人の少年の、熱くたぎるような思いと、物語を吹き抜けていく風に、満足の読後感を得られる作品です。ちょっと説明過多で、心裏が言葉にされすぎていて、逆に端折られている感もあり、もう少し、じっくりと書き込まれた心象や情景から、感じとらせてくれるだけでもいいなと思いました。いや、そんな、もの足りなさを感じるぐらい魅力的な作品なのです。これは、熱いぜ。
聾学校に通っている考司とは別の苦しみを中山は背負っています。いつも帽子を被っているのはファッションではなく、頭皮に異常があり、髪の毛が大胆に抜けてしまっているからなのです。この難治性皮膚障害の症状としてのマダラハゲ状態は、普通の中学生男子が、学校という場所を生き抜いていくには過酷なものを中山に負わせています。自分の病気の治療のために両親は不仲になり、こんな頭をしている自分を、親も恥ずかしいと思っていることを知ってしまった中山の心の痛み。それでもなんとかバランスを崩さずに立っている。己の心とプライドを守るために、中山もかたくなになったり、突っ張らざるを得ないのです。友だちもいない中学校生活を送っている中山からすれば、聾学校の仲間たちがいる考司に複雑な感情を抱くこともあるよう。中山が中学校でどんな扱いを受けているのか、なんとなく知ってしまった考司と、知られてしまった中山の微妙な空気感なども、この少年同士の心が触れ合いスパークする物語のグッとくるところです。どうしてそこまで「勝ち」にこだわるのか。怒れる少年二人は、「勝つ」ために通じない言葉を交わそうと一冊のノートに言葉を書きなぐりあいます。一本しかないペンを交互に渡しあい罵りあう場面など、精一杯なんだけれど、妙にユーモラスだったりして、良い感じです。我流のテニスにこだわるあまり、技術的に安定感に欠ける考司と、体力不足が否めない中山。ペアとして互いの欠点をどのようにフォローしあうことができるのか。「友情」+「努力」=「勝利」の方程式は、ここでも成立するのでしょうか。女子はキュンとして、男子はニヤリとする、そんな鼻持ちならない「友情未満」が、実にニクい一冊です。
福田隆浩さんの講談社児童文学新人賞佳作に選ばれた作品です。といっても、この作品がデビュー作ではなく、以前に『この素晴らしき世界に生まれて』という作品で日本児童文学者協会の長編児童文学新人賞を受賞されています。この作品もまた、聾学校に通っている耳の聞こえにくい少女が主人公ですが、『熱風』とは、また一味違った自己発見の物語となっています。やはり、ままならない環境の中で、自分の居場所を見いだせなくなった少女は、図書館の本を読み、その物語の世界に没頭していきます。彼女が夢中になって読んでいるファンタジーと、交錯していく難しい現実。この世界の煩わしい関係性から逃れるために、補聴器を外して音のない世界に逃げ込んでしまおうとした少女は、それでも最後に何かを見つけ出したのか。これもまた鮮やかで、見事な作品です(しかも牧野鈴子さんの挿絵なんですよ)。『熱風』のテニスの試合の場面では、風を切るラケットの音も、はじけるボールの音も、コートを駆け抜ける足音も、一切の擬音が描写されません。耳の聞こえない孝司の一人称で語られる、音のない世界。それは静謐というよりも、不安と緊迫感に満ちた、ただ心臓の鼓動の震えだけが響いているような空間です。誰かが自分に向かって何かを言っている。それは、怒りの言葉なのか、嘲りの言葉なのか、わからないまま通り過ぎていく。置いてけぼりにされたような気持ち。健聴者である自分には気づくことがなかった、そんな日常を送っている子どもたちの世界にインパクトを受けます。ちなみに、経歴によると作者の福田隆浩さんは聾学校の先生をなさっているそうです。補聴器についての細かいディテールなども感心するところでした。