世界とキレル

出 版 社: あすなろ書房

著     者: 佐藤まどか

発 行 年: 2020年09月

世界とキレル  紹介と感想>

今から30年以上前に「世田谷ケーブル火災」という事故がありました。電話ケーブルの損傷で、都内の一部で電話や銀行オンラインが一定期間不通になる事態が発生ししたのです。自分の家も世田谷だったのでこの影響を受けて、しばらく電話が使えなかったのですが、一ヶ月ぐらいその状態だったと思いきや、調べたところ、9日間で完全復旧したとのこと。自分の記憶の誇張癖を思いますが、それほど自分にとってインパクトがあったのかと思います。現代(2020年)と違って、携帯電話もネットもない時代で、一般的に固定電話が唯一の通信手段であり、大きな社会的なダメージがもたらされました。自分には、たかだか友だちと電話ができない程度のことでしたが、コミュニケーション手段の遮断から考えさせられることもありました。無論、あの頃の通信ツールは、今のように世界中のネットワークと繋がれるものではなく、またそれが失われることがもたらす意味の違いも感じます。ということで、この物語のように、常時オンラインで繋がっていることがデフォルトの現代の子どもが、スマホが使えないアナザーワールドに隔離されるという「重大事件」を描いた、この物語には俄然と興味が湧いてくるものです。「世界とキレル」というタイトルも秀逸で、同じように通信圏外の場所でスマホ依存の子が過ごす『ケンガイにっ!』に比肩するインパクトがありますが、さらにキレル対象としての「世界」の認識が、重要な要素として加味されていきます。電話が使えないから友だちに連絡できなくて困った、なんてこととは次元の違う「世界喪失」がここにあります。スマホがないことで失われるものとは何か。それは自分にとって、本当に大切なものを見極めることに繋がっていくのです。

一つ年上の従姉妹の鏡花とともに、夏休みに「森の家」で行われる三週間のサマースクール企画に参加することになった中学二年生の舞。大人しい鏡花の付き添いのような気持ちで参加したものの、ネットマガジンのタイアップ企画だといいながら、決してゴージャスなバカンスではない人里離れた山奥での閉鎖生活の全貌を知るにつけ、舞は次第に不安になっていきます。PCやスマホを取り上げられ、服装もお仕着せのユニフォーム。周囲にはコンビニもない。見知らぬ中学生たちとの自然環境での共同生活。あらかじめこの状況を知っていた子もいれば、舞と同様に戸惑っている子もいます。何よりもスマホでネットにアクセスできないことが舞にとって致命的でした。SNSで千人以上のフォロワーがいる舞。でもそれはクレーム・シャンティイと名乗っているネット上での自分の虚像でした。明るく素直な性格で、おしゃれでかわいいキャラクターを演じ続けている舞。そこでの人気が、エリート校で成績が上がらず、自信を失ったまま、友だちもいない淋しい学校生活を送る舞の心の支えになっていたのです。スマホを使えないことは、その世界とキレテしまうことになるのです。一緒に共同生活を送る中学生たちもちょっとクセのあるメンバーだし、慰めといえば、この「森の家」で飼われている犬のゴンタと遊べることだけ。ここでの生活に我慢できなくなった舞は、ついに一人で脱出することを決意し、スマホを奪取して町へと向かいますが、山道に迷いこみ身動きが取れなくなります。頼みのスマホは、案の定「圏外」表示。ここでも世界とキレテいた舞は、果たして、どう対応したのか。心の隙間をスマホに依存することで埋めている現代の子どもが「世界」と向き合う、興味深い物語です。

山村留学やサマーキャンプは国内外問わず児童文学作品で良く扱われる題材で、そこでの出会いや体験が少なからず主人公を変えていきます。とくに国内作品は、不自由な田舎暮らしに辟易しながらも、次第に心が自由になっていき、都会の学校生活の閉塞感から解放されることが常套です。良い意味での同工異曲があり、最後にもたらさせるカタルシスには、この題材ならではの魅力を感じます。この物語でも主人公の舞が一緒に生活を送ることになる中学生たちとの関係性が深まっていくことで、新しい世界を見いだしていく姿に、読者としても嬉しくなっていきます。後半のそれぞれの悩みを腹蔵なく語りあう場面には、これが日常の学校生活ではなかなかできないことだけに、隔絶された特別な空間がもたらす力を思うのです。いや、物語が中学生たちの信頼関係をここまで育ててきた展開の妙でもあります。色々な伝手でここに集められた中学生たちは環境もバラバラで、厳しい家庭環境でスマホなど持つどころではない子もいれば、大手企業の御曹司もいるし、学校でいじめられている子も、ハーフであることでアイデンティティに悩んでいる子もいます。互いの気持ちを語り合う中で、理解は難しいものの自分が知らない世界に歩み寄っていく姿勢に好感が持てます。そうした中で、舞はずっと劣等感を抱き続けてきた、自分とは容姿も性格も家庭環境も違う従姉妹の鏡花の胸中を知り、また世界を少し広げることになるのです。全世界に繋がっていながら、見えていない世界があったことを「世界とキレル」ことで再認識する物語、なんて堅く言う必要はなくて、舞のリアル世界に変化が兆していくことが、なんだか嬉しく思える、そんな読後感です。一般論としては、リアルとバーチャルを、現実と虚像の二元論では語れないのがネットの世界であって、「ここではないどこか」が「ここに居ながらにしてある」状態をどう意識して活用するかが問われているのでしょう。児童文学はやはりリアル礼賛になりがちで、その「良識」がどう変化していくかという趨勢には興味があります。ところで、この物語の中で中学生たちが、懐かしいボードゲームで遊ぶことがエポックになっています。今(2020年)、実はボードゲームがホットになりつつあり、公共図書館への導入も進んでいます(ボードゲームの伝道師という著名な司書の方もいます)。新しいタイプのゲームも出ていて、昨年、職場でもボードゲーム大会をやってみたのですが、けっこう楽しいものでした。ゲームスタイルでその人の意外な一面を知ることもまたあるものです。いや、策略ばかり凝らしたがる自分の性格を再発見しました。これはパソコン相手のゲームだと気づかないことですね。