出 版 社: 文渓堂 著 者: 升井純子 発 行 年: 1992年10月 |
< 爪の中の魚 紹介と感想>
若い時の苦労は買ってでもしろ、とか、艱難汝を玉にす、とか言い出すようになったら老害の域です。誰しも仕事についたばかりの若手時代は苦労の連続だろうし、結果として、それが身になるかも知れないのですが、自分が若い人にそんなことを言うようになることを考えるとゾッとします。少なくとも理不尽なことのない職場で働きたいものだし、自分が若手を迎える立場になってからは、なるべく合理的に仕事を覚えられるように配慮してきたつもりです。マニュアルも提示せず「オレの背中を見て学べ」という感覚はナシだな、と思います。とはいえ、なるべく自分で試行錯誤した方が習得は早い、と思っている自分もいて、何故もっとサポートしてくれないのかと感じる若手と温度差はあるかも知れません。ともかく徒弟時代は苦労が多いものです。本書の主人公の少年、正美(まさみ)も中学校を卒業してすぐに家を出て下宿に暮らし、美容室で働き始めます。夜間に美容専門学校に通い資格取得を目指すのは、遊びたい盛りの少年には、なかなかハードな毎日です。しかも、見習い研修先の職場がちょっと難しい環境なのです。実のところ「仕事の苦労」の大部分は職場の人間関係に起因しているもので、実のない苦労を強いられることがあります。親方に厳しく鍛えられる、というわけではなく、気難しい先輩が何も教えてくれず、職場の派閥争いもあって雰囲気が悪い、という状況下に置かれるというのは苦労の質が違います。要は、努力の方向性が良くわからない困難に遭遇しているわけです。これをまた、そういうことって仕事にはありがちだよねと、ちょっとノスタルジックに捉えてしまうベテランがいけないのです。まず風通しを良くして、職場を改革しないと。職場のマネジメントの問題を精神論にすり替えないことが肝要ですね。児童文学作品ならではの味わいとしては、理不尽に翻弄されながら、それでも前を向いて生きていく少年のグッとくる姿です。第一回ぶんけい創作児童文学賞佳作。升井純子さんのデビュー作は講談社児童文学新人賞を受賞された『空打ちブルース』ではなく、こちらなのです。
爪の中の魚、とは中学三年生の少年、正美(まさみ)の左手中指の爪の根元にできた血豆のことです。時間の経過とともに、その血豆は爪先に上がっていって、やがて失くなります。この物語に流れているのは、その爪の中にいる魚のような血豆がなくなるまでの時間です。そこには、少年の胸にわだかまるものが解消されていくまでのプロセスが象徴されています。正美が何故、指の爪に血豆を作ることになったのか。頭をリーゼントにして、万引きなどの問題行動を繰り返している不良少年である正美。母親が学校に呼び出だされた日、家で父親に殴られて倒れ、うっかりぶつけた指に血豆ができます。進路を巡って、正美は父親と対立しています。儲からない銭湯を続けている父親に、家業を継ぎたくないとハッキリと言う正美は、美容師になりたかったのです。学業優秀な弟の崇と違って勉強のできない正美は、高校に行かず、美容院で見習いをしながら、中卒でも入れる夜間の美容学校に通って資格を取りたいと思っていました。なかなか素直に話し合うことができない親子は、頭ごなしにどなりあうばかり。それでも兄を慕う弟の崇のとりなしもあって、正美は一人、実家から電車に乗って二時間かかる札幌で下宿をして働きながら夜間の美容専門学校に通う日々を送れるようになります。中学生の頃から近所の美容院を手伝い、技術を身につけようとしていた正美。夜は色々な年齢の人とたちが通う学校で真摯に勉強し、昼は美容院で下働きをしながら、技術を習得しようと熱意を持っていました。ところが、美容院で正美が師事した先輩は、仕事を教えてくれず、自分で考えろと言うばかり。先輩の美容師同士、贔屓の客の取り合いでギスギスした雰囲気の店で、正美はその渦中に巻き込まれていきます。このまま店を続けるべきか、別の店で住み込みで働くべきかと悩む正美。休みの日に実家に戻った正美が、これまで反目していた父親から、働く者同士としてのアドバイスを受けるあたりが見どころです。朴訥で器用に励ませるわけではない父親と、やはり口下手な息子。その言葉には息子に良かれと思う親心があり、そこに正美が素直に耳を傾けられるようになっているあたり、彼の成長が偲ばれます。社会に出たことの苦労が、その視界を拡げ、親子の絆を深めていく物語ですが、若いうちの苦労の意義については、やはりちょっと考えさせられるところもあります。
中学校を卒業して、高校に進学せず、すぐに働き始める子どもの物語は、現在(2022年)、あまり見かけることがありません。昭和の中頃の高度成長期には、「金の卵」と呼ばれた中学卒の労働者が多くいて、物語の主人公になることはありました。また『キューポラのある街』のように経済的事情で進学できない子どもの物語もありました。平成に入った1990年代、本書や、高校を中退して働いている主人公が登場する『青春航海ふぇにっくす丸』は異色の作品だと思います。文科省の調査によると2021年度の高校進学率は98.9%だそうで、中学を卒業して働きはじめる子どもは相当なレアな存在かと思います。また高校を中退して(これも全体の1%前後)、仕事に就く子どもたちもいますがそう多いわけではありません。一方で、キャリア教育として、子どもたちの就業体験が学校教育のプログラムに入っており、仕事体験をする物語が児童文学の中に数多く見受けられるようになってきました。ただ、そこで描かれる職場と、実際に若者が辛い目にあうような職場には距離があります。職場の辛さにめげずに仕事を全うできるモチベーションを養うためにも職業教育は必要なのかも知れませんが、難しいところです。実家に帰った正美に、父親が、かつて住み込みで働いた頃の惨めな境遇について振り返り、住み込みだけは絶対に止めろというあたり、真に迫っています。このあたりの、生々しい「職場のリアル」が、世の中にはあります。正美が働いているような「雰囲気の悪い職場」も往々にしてあります。中学生が職場体験をする『ヴンダーカンマー』では、そうした大人の緊張感のある職場事情を垣間見せられるヒヤヒヤする一幕があります。それがまあ、世の中の実際だとは思いますが、子どもたちには内緒にしておくべきかどうかですね。職業への健全なイメージを養ってもらうことも必要です。まあ、意地悪な人はいますからねー。そうした環境にも負けない心を養う必要がありますが、できれば、しなくても良い苦労はさせたくないものですね。若手には優しくありたいと思います。